【今回の訪ね人(写真左)】
河野聡太
こうの そうた
17歳のときジュノンスーパーボーイのAOKI賞に選ばれ、タレントとしてデビュー。結婚を機に芸能界を引退。その後離婚を経て、現在はIT企業に勤務しながらタレントとして活動。
河野さんInstagram
【今回の仕事人(写真右)】
DOTAMA
どたま
ラッパー。栃木県出身。ULTIMATE MC BATTLE 2017全国大会チャンピオン。佐野ブランド大使。とちぎ未来大使。サガン鳥栖CHIEF RAP OFFICER。TV番組「フリースタイルダンジョン」を筆頭にMCバトルに多数出場。数多くのインパクトと成績を残す。現在までにソロ作品3枚を含め9枚のアルバムを発表。現代社会を前向きに、時にシニカルに。卓越した音楽性とスキルフルなラップで表現する。
DOTAMAさんTwitter
仕事場はリリックという生き物と戦う、苦悩の場所
DOTAMAさんはじめまして、河野聡太と申します! 本日はよろしくお願いします。
はじめまして。ラッパーのDOTAMAです。このたびは僕の仕事場でもあるスタジオに足を運んでいただきありがとうございます。こちらへどうぞ。
DOTAMAさんは普段ここで練習しているんですよね……。お邪魔できて感慨深いです。
このスタジオは僕がずっと苦悩し続ける場所ですね。曲を作るときも、ラップバトルに出るときも、このスタジオに籠もって自分と戦ってきました。2017年にULTIMATE MC BATTLE※で優勝したときもこのスタジオに通っていたので、今でもそのときの記憶が蘇ってきますね。
※Libra Records主催のラップのフリースタイルで頂点を決める2005年より始まった大会。予選を勝ち抜いたプロ・アマチュア問わないフリースタイラーが全て観客によるジャッジでフリースタイルの日本一を競う。
マイクを握り、自分と向き合って戦ってきた場所なんですね。ラップの練習は自宅ではなくこのスタジオで行うんですか?
そうですね。自宅でも出来るんですが、ここで音を出して、デモを大きい声で歌ってみたり。「あ、違うな」ってなったら書き直したり。実際声に出してみないとわからないんです。リリックって生き物みたいなものなんですよ。
DOTAMAさんはそんな作業をもうずっとしているんですよね。
そうですね。僕が楽曲制作を始めたのは18歳のときなので、17年ほどしていることになります。
17年ですか……! そもそもDOTAMAさんがラップを始めたきっかけはなんだったんですか?
僕が小、中学生の頃、『さんピンCAMP』という伝説のヒップホップイベントが開催されたり、深夜にヒップホップの番組が放送されたり、日本のヒップホップカルチャーの最初の盛り上がりがすごかったんです。僕はそんな先輩たちの作品を聴いてのめり込んだんですよね。自分の生き方を歌うという表現方法に、カルチャーショックを受けました。
それまでは何になりたかったんですか? 子どもの頃の夢はありました?
ラッパーとはかけ離れてるかもしれないですが、昆虫博士になりたかったんですよ(笑)。
昆虫博士! かわいいですね(笑)!
▲DOTAMAさんの幼少期
河野さんは小さい頃からタレントになりたかったんですか?
それが……。幼少期に「何かになりたかった」っていう記憶が一切なくて。周りのみんなは「野球選手」「サッカー選手」「パイロット」とか、具体的な夢を持ってたと思うんですけど、僕は「毎日笑顔で過ごす」みたいな、ふわっとした夢を持ってた覚えがあります(笑)。
▲河野さんの幼少期
それ一番いいじゃないですか! しかし今日は「憧れの職業」について聞く取材相手が、なんでラッパーの僕なんですか?
今後ラッパーになりたいわけではないのですが、DOTAMAさんは以前、社会人としてお仕事しながらラッパーとして活動していましたよね。
そうですね、勤めさせてもらいながら音楽活動、ラップをしてましたね。
表現者と会社員の仕事を両立してきたDOTAMAさんの姿を僕はずっと見ていて、カッコいいなと思っていたんです。そして僕自身も今、IT企業で会社員をしながらタレント活動を副業的にやっていて。だから似た境遇だったDOTAMAさんにお話を聞いてみたいなと。
なるほど。そういうことだったんですね。是非お話させていただけたら嬉しいです。
ミュージシャンやクリエイターならきっと、どこかしらで腹を括るタイミングが来る
DOTAMAさんはラッパーと会社員の2つの仕事を、どのぐらいの期間両立していたんですか?
高校を卒業してそのまま就職して27歳で脱サラしたから……約10年間ですね。地元、栃木県の会社で働かせてもらいながら、音楽活動をしていました。
10年間、どんな生活だったんですか?
昼間は会社員として仕事をして、夜中、クラブにライブをしに行くルーティーンでしたね。昔もデイイベントはあったんだと思うんですが、地方のヒップホップイベントはオールナイトが多かったので、ほんと体力勝負で。あ、これだけ世の中は働き方改革と言われているのにブラック自慢みたいで申し訳ないんですが……(笑)。
いやいや(笑)。でも相当大変だったんじゃないですか?
振り返ると大変だったと思います。でも、ヒップホップが大きい音で聴けて、「音楽活動が出来る」という喜びさえあれば、自分は前に進めている感覚があったかな。かっこつけでもなんでもなく、ラップで自分を表現するのが好きなんだと思います。でも、誤解されないように言いたいのが、昼間の仕事もそれはそれで楽しかったんですよ。
僕もどちらの仕事にも充実感を持って働いているので、そのお気持ちはよくわかります。ただ、会社員も音楽活動も楽しいという状況で、音楽一本にするタイミングはどんなときだったんですか?
そうですね、25歳を過ぎたあたりから大変ありがたいことにライブのオファーが増えてきて「もっと全力で、音楽活動を頑張ってみよう」と考え始めたんです。そして2011年、そのタイミングで東日本大震災が起きました。
なるほど……。
地元の栃木県でも被害は出ていたし、そのすぐ上の福島県や宮城県ではもっと大変なことが起きている。いろいろ自身の生き方を考えましたね。もっと頑張らなきゃいけないと、ラップ一本で生きていくことをそのとき決心しました。多分ミュージシャンやクリエイターならきっと、どこかで腹を括るタイミングがあると思うんです。それが僕の場合は2011年の震災でした。
僕も高校卒業から仕事をしていて、今ちょうど27歳。DOTAMAさんが音楽1本になったタイミングの歳なんですよね。そのきっかけみたいなものが今後僕にも来るんですかね?
きっとあると思います。それはどの職種でも同じで、「ここでやらなきゃ」というところで動ける人こそ生き残っていくのかなと。中でもラッパーは、ラッパー特有の試練のタイミングがあります。
ラッパー特有の試練のタイミング?
ラッパーは言葉を音にして「表現」というアートをつくる職種なので、自分が放った言葉が年齢を重ねると自分に返ってくるんです。例えば、「メイクマネー」とか「必ず勝ち上がる」というリリック(歌詞)を若いときに言い放てば、それが時間の経過とともにリアルに自分に響いてくる。各ジャンルのクリエイターの方もきっとあると思うんですけど、腹を括るラッパーはみんなその試練を経験しているはずです。
自分の言葉が自分に響くときがくる……。
自分が放った言葉や経験が、のちに響くタイミングは誰しもあると思います。河野さんみたいに今、会社員をしながら別の仕事をしていれば、今後の人生で会社員の経験が必ず活きてくると思います。様々な捉え方がありますが、ヒップホップは自分の生活のリアルを歌う音楽です。僕は「自分のリアルってなんだろう」と考えたとき、それはサラリーマン生活だった。自分の生活やバックボーンがそうだったから、そのマインドを忘れないように今だにステージ衣装もスーツなんです。
なるほど。DOTAMAさんのスーツにはそんな理由が隠されていたんですね。
フリーランスであれ企業に勤めている方であれ、働かないと生きていけない。ラッパーである自分もそうです。それならば「労働の喜びや苦しみをありのままリアルに歌えることが自分のヒップホップだ」と確信し、作品作りやライブをやらせてもらっています。
「自分がなぜその仕事をしているのか」を考えながら仕事をすると意識が変わる
表現の仕事をする中で、会社員のバックボーンが役に立つ瞬間はたしかに僕にもあります。例えば撮影の仕事の場合、「この仕事を依頼したクライアントさんがいて、企画した人がいて、制作スタッフさんたちが動いて、タレント業の僕らに仕事が依頼されて……とか一連の業務の流れを想像してしまいます。
「自分がなぜその仕事をしているのか」を考えながら仕事をすると意識が変わってきますよね。
そうなんです。今では「じゃあ僕はなにをすべきなんだろう」って考えて仕事するようになりました。昔はそこまで考えられてなかったと思うんです。僕、これまでの人生けっこう波乱万丈でして。高校3年生の時にジュノンボーイになって、芸能のお仕事をさせてもらってたんですけど、授かり婚で結婚をしまして、そこで芸能活動を一旦辞めて。そこから会社員になって、そして離婚して……
超がつくくらい激動の人生じゃないですか!
僕の人生にはたくさんターニングポイントがあって、そのときの選択が合っているのかはまだわからないんですけどね。でもどれも踏み出してよかったなって思ってます。タイミングやチャンスに自ら飛び込んでいくっていうのはすごくいいことだなと今は感じています。
そうですね。自信を持って進んでほしいと思います。大変なこともいろいろあると思いますが、「だから自分はこの仕事をするんだ」という明確な理由と信念が根幹にあれば、きっとなんとかなる。ぜひ、頑張ってほしいです。
……そう言っていただけてすごく勇気がでました! 僕なりのやり方、やれることをしっかり見つけて、5年後10年後には、自分が決めた道で生きていけるようになっていたらいいな、と思います。今日はありがとうございました!
(文章/高山諒 カメラ/Hide Watanabe 編集/サカイエヒタ)
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