鼓膜が破れるかと思うほどの激しいエンジン音。目の前を時速300キロ以上で通り過ぎるマシンたち。
2017年7月、日本では初夏の風が吹き始めるころ、「F1ドライバーに最も近い」といわれている日本人レーサーの金丸悠さん(23歳)は、スペインのアルカニスのサーキット場で熱い闘いを繰り広げていました。
精悍な顔立ちで礼儀正しく爽やか。顔と同じ太さのたくましい首は、まさにアスリートという印象。レース中、高速でコーナーを曲がるときは、体重の約3倍ものG(重力)が体にかかり、ハンドルが何倍にも重くなるため、普段からパーソナルトレーナーを付けてトレーニングをしているという金丸さんも、レース後は筋肉痛になることが多々あるのだとか。エアコンのない狭いコックピットは高温になり、レース中は「ジャンプスーツとヘルメットを身につけて、サウナの中で30分間以上スクワットをしながら重いハンドルを回し続けている感じ」と、その過酷さを説明してくれました。
そんな金丸さんは、母国の日本を出てレースの本場、ヨーロッパで世界を相手にレースに挑み続けています。多くのレーサーは、日本の自動車メーカーのチームなどに所属して国内からF1を目指しますが、なぜ金丸さんはヨーロッパを舞台にしたキャリアを歩んだのでしょうか。そしてキャリアコンパスユーザーと同じ20代なのに世界で活躍できた理由とは?
23歳とは思えない落ち着いた口調で、自身の夢と思いについて語ってくれました。
4歳からレースの世界へ
金丸さんがレースの世界に足を踏み入れたのは、4歳の時。テレビにたまたま映っていたポケバイ(ポケットバイクはミニチュアサイズのオートバイで4、5歳の子どもでも運転可能)レース番組を見て、「僕もやりたい!」と両親にねだったそうです。
しかしそのレースの中で事故を起こし流血した、金丸さんと同い歳ほどの子どもを見て心配した両親は、「二輪のバイクより四輪のカートの方が安全だろう」と自宅近くのカート場へ金丸さんを連れて行きました。
この瞬間から、金丸さんのカート人生がスタートします。金丸さんはその疾走感のとりこになり、その日から60日間、毎日通い続けるほどカートにのめり込んでいったのです。
カートを始めてから半年、筑波のサーキットで初レースに参加。わずか5歳で表彰台に上がるなど、その頭角をメキメキと現していきました。小学生時代は日本各地のレースに出場し、10歳で全国大会での優勝も果たします。そして、12歳の時に訪れたイタリアで本場のカートレースを見たことが、自身の人生を大きく変えたのだとか。
「日本だと、多くても1度のレースに20台くらいしか出場しないのに、イタリアでは100台くらいのカートがケンカみたいに激しく競い合うレースを目の当たりにしました。そのスケールの大きさに圧倒され、幼いながらも『ここで勝ちたい』『ヨーロッパで走りたい』と思ったんです」
その気持ちを両親に相談したところ「世界で勝つためにはチームとのコミュニケーションが必須だろう。まず語学を習得したほうがいい」と諭された金丸さん。憧れのF1レーサー、ミハエル・シューマッハ氏が数カ国語を操っていたということもあり、小学校を卒業後は13歳で単身スイスへの留学を決意。カートのトップチームだった「トニーカート」に入り、その練習場から近かった中高一貫のアメリカンスクールに通いながら、勉強とレースの日々を過ごします。
まずは英語の習得をと考えた金丸さんは、なるべくアメリカ人の友達と一緒にいるようにして、分からない単語はすぐ聞いて学ぶようにしていたのだとか。
「スクールには何かあれば助けてくれる日本人の先輩も何人かいたので、不安なく過ごすことができました。最初は英語が全然話せず、相手が何を言っているのかも分かりませんでしたね。休み時間や放課後にやっていたサッカーを通して多国籍な友達ができてから、グンと上達していった。英語に耳が慣れてくるまで3カ月ほどはかかりましたが、スポーツには本当に助けられましたね」
世界の壁に打ちのめされた1年目
しかし、その年のトニーカートのチームは全体的に低迷。ヨーロッパ1年目は予選落ちが続き悔しい思いを味わいます。翌年はKF2(※)で走れることになったものの、変わらずチームの不調が続き、金丸さんはついに「レースを辞めようかな」と思うほど精神的にも追い詰められてしまったそう…。
※カートの最高峰「KF1」の1つ下のクラス。カートからF1の登竜門の「フォーミュラー」へステップアップし、フォーミュラーの最高峰といわれるF1のトップを目指すドライバーが多い。
「日本と違って、本場のレースはまさに『戦場』のようでした。レーサーたちはタフでズル賢く、僕は足りないものばかりでしたね」
ただ、レースの神様は金丸さんを見捨てませんでした。金丸さんは、そんな厳しい状況の中で、なんとKF2史上初の日本人優勝という快挙を成し遂げたのです。15歳の時のことでした。
「ずっと結果が出なくて『悔しい』という気持ちが強かったのですが、『ここで評価されずに終わるものか』という思いで挑みました。僕、本当に昔から負けず嫌いなんですよ。
おそらく当時、誰も僕が優勝するとは思っていなかったと思います。でも、レース中に下す全ての判断が良い方向へ進んだ。まさに神がかっていたと言っていいほど運もついていたんだと思います。もちろん、日々のトレーニングやシミュレーションなど、とにかくやれることはやってきました。苦しい2年間でしたがこうした地道な努力が報われ、表彰台に立った時には初めてうれし涙を流しました」
「勝ちにこだわれ、蹴落としてでも」シューマッハが告げたアドバイス
このレースがきっかけで、金丸さんのその後のレース人生が大きく変わります。
チームのボスが優勝したご褒美にと、年末にラスベガスで行うカートのお祭りのようなイベントへ金丸さんを招待してくれたそうです。そこで金丸さんが尊敬するドライバー、あのミハエル・シューマッハ氏と一緒にイベント内でレースができる機会をもらったのだとか!
「シューマッハはシートの高さもメカニックの担当者に任せず、自分の目で見て自分の手でミリ単位の調整をするんです。彼からしたら遊びのレースなのに、車載カメラで自分のドライビングを確認したり、他のレーサーの走りの観察をしながら冷静に分析したりして、勝ちへの執念が半端ない。たとえイベントだろうと、レース時の彼は真剣そのもの。話しかけられないようなオーラが出ていて、むしろ怖いと感じるくらいでしたね」
無敵の成績を誇り「皇帝」とも呼ばれたそんなシューマッハ氏ですが、プライベートになるととても気さくでユーモア溢れる人柄だったとか。
「憧れのヒーローのような存在だったので、初めてお会いした時は本当に緊張しました。目の前の席で一緒に食事をする機会があったのですが、僕がよそ見をしている時に、自分の皿の肉を僕の皿に置いてきたりして、お茶目な人だった。レースではバケモノのようなオーラを出し、プライベートではユニークかつフランク。彼から、オンとオフの時のメンタルの切り替え方を学びました。常に集中していると、いざという時にモチベーションを上げにくい。そのメリハリのつけ方は本当に参考になりましたね。
ディナーが終わって颯爽とマイジェットで帰っていく姿は、本当にかっこ良かったです。これが本物のF1ドライバーか、僕はいつか彼に並びたい、と決意を新たにしました」
そんなシューマッハ氏との夢のような時間を過ごした金丸さん。シューマッハからは「勝ちにこだわれ。相手を蹴落としてでも上にいく力がないとダメだ」というアドバイスも。そんな彼に追いつこうと努力を重ね、2011年には17歳でカートの最高峰クラス、KF1の世界選手権でアジア人初優勝を果たしました。2012年にはさらに上の階級、フォーミュラーにステップアップし、今年も世界のさまざまな都市のレースに果敢に挑戦し続けています。
F1史上初の日本人優勝を目指して
「夢はF1のシートを獲得することです。それは4歳のころから変わっていません。日本人の歴代F1ドライバーは3位が最高なんです。僕はF1史上初となる日本人優勝者として、日本の国旗を表彰台のど真ん中に掲げたい。それが日本のモータースポーツの再熱になると思っているんです」
そう夢を語ってくれた金丸さん。なぜここまで、手強いライバルたちがひしめく海外で成果を出すことができたのでしょうか?
「スポンサーやファンの方、チームのメンバーなど多くの人に支えられているということや、日本を背負っているという使命感は大きいかもしれません。ヨーロッパ1年目はボロボロでしたが、何があっても諦めなかったことが最終的に今の成績につながったのだと思います。
そして、勝つことへ強くこだわり、どんなことでも自分が今やれることはとことんやってきました。
そのメンタルを維持するために、『この人みたいになりたい』という目標設定だけはブレずにやってきたんです。それがシューマッハでした。ドイツ人のシューマッハは、フェラーリというイタリアのチームに所属していましたが、彼ほどイタリア人から好かれたドイツ人はいないといわれています。彼は200人ほどいたチームのメンバー一人ひとりの名前を覚えていたそうです。
それだけチームメイトに敬意を払っていて、チームメイトからは『このドライバーのためだったら頑張りたい』とリスペクトされる、良い循環が生まれていました。僕もそんな最高のチームをつくれるドライバーになりたいです」
世界に立つには、「勝ち」にこだわること
アルカニスでのレース1戦目の結果は芳しくないものでした。悔しい表情を浮かべた金丸さんは、レース終了後、表情を曇らせたまま控え室に消えて行きました。プライベートの爽やかな笑顔の彼とはまるで別人のような険しい表情で、正直ゾクッとしてしまうほど。
毎回日本から応援に来ているという金丸さんの母親からは「今は話しかけないであげてください。レースの結果が良くないといつもああなんです。あの子、本当に負けず嫌いで」と一言。
その負けず嫌いな性格と勝ちへの執念は、まるで金丸さんの話に聞いたシューマッハのよう。弱冠23歳といえど、レースのキャリアは約20年の大ベテラン。世界の頂点を目指すために、「勝ち」にこだわり続けています。
一つのことに、とことんこだわる。ビジネスパーソンであれば、売上目標や競合他社とのプレゼンなど、仕事の結果にとことんこだわりを持って「NO.1」を目指してみてもいいかもしれません。その情熱があなたのビジネスをきっと飛躍的に加速させていくことでしょう。
(取材・文:ケンジパーマ)
識者プロフィール
金丸悠(かなまる・ゆう)
1994年生まれ、東京都出身。
4歳からカートを始め12歳で単身ヨーロッパに渡り、競争の激しいモータースポーツの世界へ。
17歳の時にカート世界選手権(KF1)で日本人として初めて優勝を飾り、その後フォーミュラカーに転向。
Euroformula OPEN Silverstone RACE1で優勝、Euroformula OPEN 総合3位の成績を残した。
2016年、Formula V8 3.5に参戦。ランキング8位。World Series Formula V8 3.5に参戦。表彰台1回。現在(2017年8月)ランキング7位。
RP Motorsportに所属
※この記事は2017/09/22にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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