邦人滞在者数が最も少ない国の一つといわれるアフリカ南部のナミビア共和国で、オリンピック選手の輩出実績もある政府公認のサイクリングチームのマネージャー兼メカニックとして働いてきた佐々木亮さん。
10年間勤めた会社を辞め、いちボランティアとしてナミビアを訪れた佐々木さんが、世界有数のレースに出場するプロ選手のメカニックとして活躍するまでの道のりを伺いました。
10年間勤めた会社を辞めたのは、安定した環境に不安を感じたから
僕は大手スポーツショップで10年間働いていたのですが、それだけ長くいると立場も上になって、トラブルがあってもたいていのことはうまく対処できるようになり、“日々それなりにやりがいはあるけれど、変化に乏しい日常”が続いていました。大学を中退してアルバイトとして入社した僕にとって、自転車技士と自転車安全整備士の資格を取り、担当部門の売り上げ全国No.1を達成し、合格率数%の正社員登用試験をクリアし、ようやく手に入れた理想のキャリアといえるかもしれません。
関東地域の店舗を統括するエリア担当や、本社で自転車整備士向けセミナーの講師を任せてもらえるなど、待遇にもとても恵まれ正直なところ居心地は良かったです。ところが僕は逆に、「このままチャレンジしたいことにフタをして、当たり前のように日常を過ごしていると、いつか後悔するのではないか?」という危機感を持ち始めました。
僕には、『環境にやさしく、健康的で経済的な自転車という文化を日本に定着させたい』、『世界を相手にビジネスをしたい』という長期的目標があり、それを達成するには、環境を変えて自分を劇的に成長させるチャンスをつくらなければという思いが高まってきたのです。
劇的に成長するために、自分自身の環境を変えてみよう
「自分を成長させるために環境を変える」という選択は、聞く人によっては安直だなと思われるかもしれません。僕が自己成長のためにこれまで実践してきた中で最も効果があったのは、「○歳でこうなっていたいという目標を立て、年・月・週ごとに振り返る」という方法です。この方法を試したきっかけは、買った手帳にたまたま“今年の目標”を書く欄があったからなのですが(笑)。仕事面の目標では、担当部門の売上がいくらで、全国○位になっていて、本社で自転車整備士の教育担当を務めて……、といったことを書いていたのですが、その手帳を後から読み返したら、立てた目標をすべて達成していることに気づいたんです。
最初は偶然かと思いましたが、自分の行動を振り返ってみると、目標を書くことで自分の深層心理に根付き、自然と達成に向けた行動がとれていたようです。アンテナを立てているからこそ、チャンスを見逃さずに行動に移せ、その成功体験がまた次の行動への原動力になったのだと思います。
ところが、目標を立ててトライ&エラーを繰り返し……、と今いる環境でできる限りの努力をしても、最終的なゴールに定めている『自転車文化を日本にもっと定着させる』や『世界を相手にビジネスをする』を実現するには、まだ自分に不足しているものがたくさんありました。そこで、言い訳ができない環境に身を置き、自分自身に強烈な変化を起こすことで、劇的な成長を促そうと思い立ったのです。
もし迷ったらワクワクする方を。それでも迷ったら大変そうな方を選ぼう
正直に言うと、10年かけて築いたキャリアと立場を手放す恐怖ももちろんありました。今の職場でもっと経験を積むべきか、環境を変えて自分を劇的に成長させるチャンスをつくるか。この選択によってその後の人生が大きく変わると思うと非常に悩みましたが、最終的には海外へ飛び出して自転車のさまざまな可能性を探るという道を選択しました。そう決断した背景には、『もし迷ったらワクワクする方を。それでも迷ったら大変そうな方を選ぶ』という僕の選択基準があります。
人生は常に選択と決断の連続です。自分のやりたいことが不明確な場合、「自分の力はこれくらいだから、この辺かな」「周囲の人が勧めてくれたからそうしよう」など、“自分にできること”を基準に決断をしてしまいがちです。しかしこれでは、現状の自分の殻を破ることなく、今までの自分の延長線上を進むだけになってしまいます。逆に、周りの人が成長したり、環境が変化すれば、今までと同じ成果を出すこともできなくなるでしょう。つまり、人生の中で意識的に自分に負荷をかけなければ、現状維持どころか退化してしまうことさえあるということです。
ただ、自分に負荷をかけることを意識的に行うのは難しいことです。そこでお勧めなのが、“自分がワクワクすること”を基準に選ぶこと。ワクワクするということは、今までできなかったことができるようになったり、人から感謝されたり、大きな成果を上げられることを期待できるからだと思います。そして、それでも決断できなければ、“大変そうな方を選ぶ”のです。一度“ワクワクする方”というフィルターにかけているので、テーブルの上には“ワクワクするもの”だけが残っているはずです。その中で全ては選べない、絞らなければならないというときに、“大変そうな方を選ぶ”。ワクワクするけど実現するのは大変そうなことを達成した経験は、何ものにも代えがたい財産になるからです。
自分が必要とされていない場所に惰性で居続けるのはやめ、必要とされている場を貪欲に探そう
環境を変えるために海外へ飛び出す決断をし、さまざまな縁がありアフリカ南部のナミビア共和国で、自転車整備のノウハウを現地の人に教え、就労支援をするボランティア活動を行うことになりました。所属したのは「Bicycling Empowerment Network Namibia(略称BEN Namibia)」というNPO団体で、ナミビア国内に数十店舗の自転車ショップを構え、輸入した中古自転車を整備・販売し、その利益で孤児の食糧支援やHIV患者の支援などを行っています。自転車ショップで働く整備士の雇用を創出するとともに、これまで自転車が高くて買えず徒歩圏内でしか生活できなかった人に自転車を安く提供することで、行動範囲が拡大し仕事の選択肢が広がるなど、貧困問題を解決する活動として注目されています。
ところが、実際に現地の自転車ショップでは、専門的な自転車整備の知識なんかは必要とされていませんでした。道具のない中で、とりあえず乗れる状態にするために、ゆがんだフレームはハンマーでたたいて直すという大雑把な作業。必要な道具が整備された工房で、ミリ単位の精度でスポーツバイクを整備するという日本での経験は全く役に立ちませんでした。
現実を目の当たりにした僕はとりあえず頭を切り替え、現地のやり方を尊重しながら信頼関係を築いていきつつ、そこで発生している一番の問題点を探り、どのような状態をゴールに定めるかを模索しました。そして “作業効率が悪く、メンテナンスが予定通りに進まない”という課題が明確になり、道具の整備やプロセスの改善を行い、より効率的にメンテナンスが進められるよう努めました。しかし、そうした改善自体がまったく求められてないため、改善を提案しても迷惑そうな反応が返ってくるばかりでした。
ぽっと現れたアジア人が何を言っているのだと思われても仕方がない状況ですが、現状のままで良いと思っている人の意識や行動を変えるのが、いかに難しいかということを学びました。確かに、「達成するまであきらめずにしがみつけ」という考え方もあると思いますが、僕は限られたナミビア滞在期間に、明らかに自分が必要とされていない場所で努力し続けるよりも、自分が求められている場所で力を発揮した方が良いのではと考えるようになりました。そこで、ボランティア活動は継続しつつ、もっと活動の幅を広げたいと考えていることを周囲に発信し始めました。
チャンスは1度きり。「また次の機会に…」は、チャンスを自ら潰している
BEN Namibiaでのボランティア活動を始めて10日ほどが経ったころ、ボランティアグループの代表Michaelから、「自転車のレースが北部であるからちょっと同行しないか?」という連絡がありました。電話口では詳しく内容を聞けなかったのですが、とりあえず何かが変えられるかもと思い「YES」と答えました。そして迎えに来たMichaelが僕を見て「あれ?ちゃんと泊まれる用意した?」と一言。ここで判明したのが、北部と言っても800km(おおよそ東京から広島までの距離)離れていて、バスで10時間かかる場所とのこと。このときに同行したのが、その後僕が働くことになる「Physically Active Youth(略称P.A.Y)」というサイクリングチームだったのですが、このときはどんな組織なのかも全くわからないままでした。
レース会場までの道のりは、それはひどく居心地の悪い時間でした(笑)。僕はバスの中の人間を誰も知りませんし、相手も僕のことは全く知らされていません。突然便乗してきたアジア人のことを、みんな最初は奇異の目で見ていました。ナミビア共和国は邦人滞在者数が最も少ない国の一つといわれているほどで、日本人を初めて見る人がほとんどだったと思います。そんな針のムシロの中、10時間以上の長旅を経て、宿泊先のホステルに到着したのは深夜の2時。
翌朝は5時に起床して、選手たちはこの日のレースに備えてロードバイクのチェックを始めました。それまで肩身の狭い思いをしていた僕は、ここで自分の価値を発揮するチャンスだ!と思いました。“変なアジア人”というイメージを挽回するために、「技術で驚かせよう」というギラギラした思いと、絶対に失敗はできないという緊張感とともに、バイクのチェックとメンテナンスを始めました。そんな中、深刻なトラブルを抱えるバイクを持っていた選手に、不調の理由を説明しながら完璧に修理した瞬間、周囲の選手の空気がガラッと変わったのがわかりました。それまで遠巻きにしていた選手が、「リオ!リオ!(亮がうまく発音できない)」と僕を呼び、それぞれが抱えている問題を次々と伝えに来ました。そして気付けば、選手全員が僕の前に列を作って、バイクチェックを求めていたのです。それまで会話どころか目も合わせてくれなかった彼らに認められたこの瞬間のことは、ずっと忘れないと思います。そして、その風景をみたチームのボスが、「うちの専属メカニックにならないか?」と声を掛けてくれたのです。
もしあのとき、レースに同行すると言わなかったら。そして、周囲のアウェイ感に気圧されてバイクのメンテナンスをやろうとしなかったら。さらに、満足な結果を出せていなかったら。そのどれかが欠けていても、この新しいチャンスはつかめておらず、なんの達成感も得られないままナミビアを後にしていたでしょう。たまたま自分のスキルを発揮できる環境だったというのもありますが、ここぞというときに自分の全精力を注ぎ結果を出すことにより、居場所を切り開くことができるのだと、自信をつけることができました。
サイクリングチームのメカニック兼マネージャーとしての仕事
僕がスカウトされたP.A.Yという青年団は、貧困家庭の出身者に教育とスポーツの場を提供する活動を行っています。その中でも特にサイクリングチームに力を入れていて、今年はプロチームの監督が視察に訪れたり、イギリスのBBCで紹介されるなど注目度の高いチームです。政府の援助と寄付金で運営されていますが、オリンピック選手を輩出するなど結果を出している団体なのでスポンサーにも恵まれ、日本円で50~60万円するような高額な自転車を何台も提供されています。
これだけスポンサーからの支援があるチームにもかかわらず、今までチーム専属のちゃんとしたメカニックがおらず、自転車に問題が起きると街の自転車ショップに持ち込んでいました。またそもそも問題に気付いていない場合も多く、全員のバイクをチェックしてみると、これでよくレースに参加していたと驚くほどの状態でした。僕はメカニック担当として、機材の修理・メンテナンス、必要な工具・パーツの調達などを行うとともに、自分が日本へ帰国した後のことを視野に入れて、自転車工房の設置やチームメンバーへのメカニック講習なども並行して進めることにしました。
さらに、このチームにはマネージャーの存在もなく、スケジュールやお金の管理はとてもずさんな状態でした。時には、出場を予定していたレースの申し込みを忘れていて出場できなかったり、レースの開始時間に選手が揃わなかったり、合宿中の食事が手配されなかったり、などなど。日本では想像もつかないレベルの低いミスが多発している状態でしたが、周囲の人いわくナミビアではそれが普通のことのようです。街中でも、レストランが開店時間をすぎても閉まっていたり、「今からやります」が5時間後の対応だったり。こうした状態では、いくら自転車だけメンテナンスしてもレースには勝てないと思い、マネージャーとして選手のマネジメントやチーム運営も手がけることにしました。
価値観の異なる相手を動かすのは、信頼してもらうことが一番の近道
時間を守るという概念がなく、計画的に行動するという意識も低いチームメンバーが多かったのですが、ボランティア先の自転車ショップと違っていたのは、「レースで良い成績を残してプロ選手としてお金を稼ぎたい」といった明確な目標を全員が持っていることでした。目的意識さえあれば、その実現のために人は努力できるというのが僕の持論です。
とはいえ、人は成功体験がないとなかなか動けないので、タイムマネジメントやスケジュール管理がいかに重要か理解してもらうのは非常にハードルが高い状況でした。そこで、言葉で伝えるだけでなく、自分が朝から晩まで誰よりも一生懸命働き、チームに貢献することで、まずは僕自身を信頼してもらうことを目指しました。しばらくすると、「リオがこれだけやっているのだから、自分たちもやらないと」という意識をメンバーが持ってくれるようになりました。最終的には、今までレースにはいつもギリギリで到着していたのが、出場チームの中で最も早く到着して準備を万全に行うようなチームになり、逆にギリギリの到着だと文句が出るほど時間に対する意識が高まりました。このように、価値観の異なる相手を動かすには、指示するよりも、信頼されることが大事なのだとあらためて実感しました。
とある日、「リオはいつも頑張ってくれているけど、誰もありがとうって言わないから、買ってきた」とチームメンバーの一人が僕にコーラを買ってきてくれたことがありました。ナミビアの貧困地域での、一日の生活費は一人200円程度。その彼が僕に100円するコーラを買ってきてくれたときには、言葉で言い表せないくらい感動しました!
レースへの帯同
レースへの帯同は、メカニック兼マネージャーの仕事の集大成ともいえます。毎週末、大小さまざまなレースが開催され、良い成績が残せるとスポンサーを多く獲得できることから、選手もスタッフもみな真剣です。参加したレースの中でも過酷だったのは世界最長距離を走るマウンテンバイクレースで、369kmを24時間で走るという、完走するのさえ非常に困難なコースでした。こうしたレースで上位を狙うには、コースの状態を前もって把握し、万全の機材と体調で臨み、レース中のトラブルに適宜対処できるかがポイントです。僕がチームに入るまで、こうしたサポートを行うスタッフがおらず、機材トラブルやコースミスなどで入賞を逃してしまうこともあったそうです。
万全な前準備とサポートで臨んだ今回、僕たちのチームは50チーム中4位入賞という好成績を収めることができました。実は、自転車競技というのは機材に何十万という金額がかかるため、レースに参加しているのは裕福な欧米のチームがほとんどです。そうした資金も潤沢にあり、選手層も厚いチームが多く参加する中、貧困地域出身者で構成されたチームがここまで上位に入れたのは快挙といえます。
同じ場所(国)に居続けることはリスク。思考が停止してしまう
今回、海外へ飛び出してさまざまな経験を経て思ったのは、強烈な変化を感じることが、現状を見つめ直すきっかけになるということです。これまでにイギリス、ナミビア、南アフリカの3カ国に滞在しましたが、新しい国を訪れるたびに新たな価値観や文化に出会い、良い意味で固定概念が崩壊され続け、新しい思考回路が生まれました。
南アフリカで出会って仲良くなったNeilという28歳の男性は、ナミビアで生まれ、ロンドンで勉強して、タンザニアで働き、今は転職してケープタウンに移り住んでいるという経歴の持ち主でした。仕事も、建築、デザイン、自転車関連とさまざまな分野を渡り歩いている彼は、「同じ国や組織にいると、同一の社会システムの中で生きていくことになるから、自分で何かを切り開いたり考え出すための意識が生まれない」と話をしていました。
日本の外に出ると、複数の国を渡り歩いている人に驚くほど多く遭遇します。そして彼らはみな、国や仕事を変えることで自分のキャリアを組み上げていくという意識が非常に高いと感じました。彼らの話を聞いてあらためて思ったのが、いわゆる安定志向(一カ所にとどまること)こそリスクでしかなく、環境を変えて切り開いていく力を身につけている方が安定(市場価値が高まる)だということです。異なった仕組みに身を置き、どこに行っても自分の力が発揮できるようにしておくことで、どこででも即戦力になれるという証明になるのだと思います。
もちろん、一つのことに特化して専門性を極めることも大切でしょう。僕も実際、自転車整備士として10年のキャリアを築いてきましたが、まだまだ自分の技術は未熟で、これからもっと勉強していきたいと考えています。ただこれからの時代は、長年築いてきたスキルや専門知識だけでなく、さまざまな経験から身につけた人間力や変化適応力がより求められるのだろうと感じています。
プロフィール
佐々木亮(ささき・りょう)/
1984年生まれ。日本で自転車整備士として約10年のキャリアを積んだ後、自転車ビジネスの可能性を探るために海外へ渡航。イギリス滞在を経て、邦人滞在者数が最も少ない国の一つといわれるアフリカ南部のナミビア共和国で、自転車整備士を育成して就労支援につなげるボランティアを実施。そのときの活動がきっかけで、ナミビア政府公認のサイクリングチームから、メカニック兼マネージャーにスカウトされる。トレーニングのサポートやチームメンバーのマネジメントをはじめ、世界最大規模のマウンテンバイクレースなど数多くのレースに帯同する傍ら、国連やJICA、アフリカサイクリング協会と共に、アフリカにおける自転車の普及活動なども行ってきた。現在、スポーツサイクルwebマガジン『Green Trail』を運営し、“自転車が世界を救う”をテーマに様々な情報を発信している。
※この記事は2015/02/17にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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