2015年9月某日。都内にて、あるテレビディレクターのサイン会とトークショーが開催されました。
講演者みずからコーヒーをいれ、参加者に振る舞うというユニークなイベントには、200人の定員のところ1,000人以上の応募があったそう。そんなイベントの主役であったテレビディレクターとは、嬉野雅道さん。大泉洋さんが出演する北海道発の超人気バラエティー番組「水曜どうでしょう」のカメラ担当ディレクターです。
2015年7月に『ひらあやまり』という初エッセイを出版するなど、ディレクターの枠にとどまらない活躍を見せる嬉野さんも、実は20代半ばまでは引きこもりのような生活をしていたとか。いったい嬉野さんはそこからどのようにして、みずからの“天職”を見つけていったのでしょうか。嬉野さんの知られざる過去や、「水曜どうでしょう」との出会いに迫ります。
会社に無許可でカフェを始めた理由
――著書『ひらあやまり』は、勤務先のテレビ局HTB(北海道テレビ)の会議室でカフェを始めたという報告から始まります。なぜ会社でカフェを始めようと?
「不意にそういうことをしてみたくなったんだね。それも就業時間中の会社でね(笑)。もちろん総務にもどこにもことわりは入れずに、空いてる会議室を使って勝手に始めたからいまだに無許可(笑)。だからそのうち怒られっかもしれんけど。でも結局オレは、カフェをやることで、それまで話したこともない人と話したいと思ったの。話したこともない人と話すということの先に、なんか明るい未来があるような気がしたのね、勝手に。
でも話したこともない人と話すには、その人と一緒にいる理由が必要だからね。カフェというのは、一緒にいる一番良い理由になるような気がしたんだよね。カフェを社内で始めたのは、お互いなんとなく顔は知ってるけど話したことはないなって人が社内にいっぱいいるなって思ったから。出だしはそんな感じだね。
その先にある未来については、ぜひ私の著書『ひらあやまり』を読んでもらいたいと思うんだけど。よろしくお願いします。Amazonでも売ってます(笑)」
――嬉野さんはもともとテレビ業界に興味があったのですか?
「そこはまぁそうなんだけど、若気の至りというのもあるかな。この仕事を始めてはみたものの、今に至るもこの業界にはずっと性格的には違和感を感じててね(笑)。
だいたいテレビ局にオレみたいに押しの強くない人はいないよね。迫力がないというのかね(笑)。『水曜どうでしょう』の4人の中で考えたって、他の3人(大泉洋、鈴井貴之、藤村忠寿)みたいなのがこの業界には普通にいる感じだよね。
それでもこのごろになって、いま自分は一番良い立ち位置にいるなって思うのよ。つまり、50歳を過ぎてからとっても楽しいの。自分のままでいられる場を得たんだと思うんだよね。楽しさはそこから来てるんだと思うの。でもこれは長年狙って獲得した立場ではないし、そもそも仕事するときにそんな楽しい立ち場があるなんて思ってもいなかったのだからね」
「将来ハゲるよ」と言われ、引きこもった20代
「このごろ、欽ちゃん(萩本欽一さん)と話すことがたびたびあって。そんなときに欽ちゃんが言うんだよね『あのね、ひどい目に遭ってるときは運がたまってるんだよ』って。
ある時代における日本のテレビ番組の形を発明したようなあの萩本欽一が言うんだから、きっとそうなんだろうなって思う。
『人の集まってるところに運はないよ』と、欽ちゃんは言うのね。欽ちゃんはよく運という言葉を使う。そこにオレは共感してしまうのね。
運なんだよ。理屈じゃない。それはおそらく説明できないものなんだよ。説明してはいけない領域があるとでもいうような。ひょっとしたら欽ちゃんは人の意識に上らないところにこそ、人間が生きる上でもっとも重要な領域があるってことに気づいて、テレビをつくっていたんじゃないか。なんかそんな気もしてくる。そこに自分と似たものを感じるんだよね。せんえつながらね。
だってオレもね、話したくないほどひどい目に遭ったことがある。多感な青春のころにね(笑)」
――話せる範囲だけでもお願いします……(笑)。
「高3のとき床屋のオヤジが『お兄さん、あんた将来ハゲるよ』って言うのよ、やぶから棒に。『おじさんはキャリア長いから分かる。間違いない』って、オレの頭を見下ろしながら念まで押すの。
ちょうどそのころ、彼女ができたばかりで有頂天だった嬉野青年は『おやじ、なんてこと言ってくれるんだよ』って、幸福の絶頂にいただけにショックでね。奈落の底まで落ちたよね。その晩から気にし出しちゃって、たしかにシャワー浴びたら髪抜けてるし、朝起きたら枕に髪の毛がちらばってるし……って、それ当たり前なんだけどね、いま考えたら。
でもオレは勝手にパニックになってるから、『オレの髪は卒業まで持たないんだ!』って焦りまくって、悪いほうに悪いほうに考えていくのね。やがて人前に出るのが嫌になりだして、いつしかオレは、正真正銘の引きこもりになっていた。そんな状況からの脱出に成功するまで7年もかかったもの。
でもオレはその暗闇から自力で脱出したの。考えることで脱出したと思う。だから自分は考えることで人生を乗り越えていく星のもとに生まれたんだ、っていう信念みたいなものを、そのとき獲得したんだと思う。
だって必死だったんだもの。それこそ死に物狂いでありとあらゆることを、幸せに生きるためにとことん考えた。結局、考え続けたあの7年間の鍛錬で、いまオレは食えてる気がする。それを思うと、たしかにひどい目に遭ってたあの7年の間に、欽ちゃんの言うように、オレはそうとう運がたまってたんだな、って思うよ」
7年間ぶっ通しで考え続けていたら、ある日悩みがどうでもよくなった
――7年もの間、何を考えていたんですか。
「脱毛の進行は止められないとしても『ハゲを苦にして自殺するのもみっともないしな』とか思い、今度は『なら、ハゲるかもしれないというだけのことに、なぜオレはこんなにも不安になるのか』と考えはじめた。『オレはかわいい女の子にモテたい、好感を持たれたいと思ってるんだな。その条件が容姿だと相当の比重で思い込んでる。つまりオレは自分が今まで持っていたものを失うことが怖い、そのことに苦しんでるんだな』ってことが分かってきてね。なるほど悩みの底にあったのは、結局欲だったのか、と思い至ったんだ。
でもそんなふうに悩みの原因のカラクリが分かったから、もう悩むのはやめようと思うんだけど、苦しいのが癖のようになってしまっていて、気持ちを閉ざして暗くしているふたが一向に開かないのよ。自分のことなのにもう自分でコントロールできないのよ。夜になると必ず胸のあたりが重苦しい感じがしてきて、いつまでも苦しさから抜け出せない。それがもうつらすぎるからさ、とにかく楽になりたいといろんなことを今度は試し始めるんだよね。
例えば『まぶしい光をずっと見つめていると、重苦しい気分がいくぶん和らぐ』とか発見していくわけだよ。『でも、どうしてまぶしい電灯の光を見るだけで気持ちが楽になるんだろう』と今度は考え始めていて、そのうち気づくのね。『そうか、まぶしくて目を細めてしまうから、そのときの表情が笑顔に近いものになっている。つまり一種のフィードバックなんだ。普通は心が華やぐから表情が笑顔になるという順番なんだけど、逆に出口である表情から先に笑顔にしてみても、その表情が心にも作用しだして不安なことが考えられない状態を擬似的につくってしまう。だから落ち込むようなことも考えられなくなる……』とかね。
そんなふうに次から次へと7年間ぶっ通しで考え続けていたら、いつしかヘトヘトになったんだろうね、ある日、本気で、もうどうでもよくなってる自分がいたんだよ。それで脱出成功(笑)」
――ひとりでずっと考え続けていたんですか。すごいです。
「その当時、ライアル・ワトソンの『生命潮流』という分厚い自然科学系の本が話題になっててね、それ買って読み出したら面白くてのめり込んだね。白血球がいかに巧妙に仕組まれていて、ウイルスなど外部からの侵入をどのようにして防いでいるかみたいなことが書かれていた。
思い通りにならないことに悩み苦しんでる自分のその体がね、実は恐るべき巧妙さで動いていて、そんな人体の不思議さや、宇宙の不思議さにのめり込み始めると、欲に固まった自分からどんどん離れていくことができるような気がしてね。不意に浮力がついたように重力の呪縛から自由になれて苦しい自分を忘れられた。
ひょっとしたら科学的な考え方で自分を問いただしていけば、暗いうやむやなままの部分がどんどん整理されて、悩みは継続させることもできなくなるような気もしてきて。そういった考え方の大きなヒントをあの本から得たような気もする。とにかくあのときの読書にも、どこか死に物狂い的なところがあったからね、普通のときの読書とは違っていたんだと思う」
----
ひどい目に遭ったときは、「運がたまってる」と思えばいい
――考えることで落ち込み続けてしまう人もいますが、むしろ生きる術を見つけることができたんですね。
「根っこがきっとバカなんだろうね(笑)。そこが救いだったかもね。明るいほうを向いちゃうんだろうね。でもね、落ち込み続けてた自分から脱出するために考えるんだからね、落ち込む方向に考えたりはしないのよ。
結局、あの床屋のオヤジの言葉をきっかけに落ち込んじゃったけど。あんなひどい目に遭わなかったら、あそこまで死に物狂いで考えることも、死に物狂いで読書したりすることもオレの人生にはなかったと思うから、欽ちゃんの『ひどい目に遭ってるときは、運がたまってるんだよ』って言うのはたしかだと思うんだよね」
――ピンチはチャンス、のような。
「上司に嫌味言われたり怒鳴られたりして、ひどい目に遭ってるときとか、『何だあの野郎』とかって怒りにとらわれたり、強がって荒れてみたり、反対にしょげたり、気落ちしたり、落ち込んだりするのがまあ普通なんだろうね。でも、そんなときに、『そうか、いまオレは運がたまってるのか、よしよしたまってる、たまってる……』って、本気で信じてみるようなら、確かにひどい目の受け取り方が変わる気がするよね。
なにより、上司に怒鳴られてばかりでひどい目に遭ってる人が、いつもなんでだかニコニコしていたら周囲に居る人たちは逆に気になってしまう。そこには人が集まってくるかもしれない。そう思えば、ひどい目に遭ってるときは運がたまってると言う欽ちゃんの指摘は、あながち根拠がないともいえないなって思うのね。だから今はオレも、どっちに転んでもとりあえずニコニコできるなと思って安心してるのよ」
天職は探して見つかるものじゃない
――嬉野さんは、“天職”ってどんなものだと思いますか。
「今回のサイン会とトークショーの話で例えると、オレにとって単独でなにかするイベントなんて初めてでね、どうしたらいいんだろうって思ってた。集まっちゃってるお客の前でとりあえずしゃべってみたけど、四苦八苦で時計の針も進まない(笑)。
でも、来てくれたお客さんにマイクを渡して質問してもらって、対話形式にしてみたら意外と楽しくしゃべりだした自分を、そのときに発見したのね。やっててすごく面白くなったの。その証拠に、進まなかった時計の針があっという間に進んでるのよ。
あぁこれだったら、しゃべるのもえらい楽しい、なら意外にオレはしゃべることも向いているのかもしれない、と思えた。他人にそそのかされ、その話に乗って、新しいことの渦中に自分の身を置くことで、意外な自分を発見したんだね。
それは例えば、坂道に自分を置いて転がりだすようならオレは球体だと分かる、微動だにしないのなら球体ではないと分かる、みたいなね。自分を渦中に置いてみるとそれが分かる。一気には分からないよ。何度も何度も繰り返すことで少しずつ分かる。それは大事なことのように思うの。やってるうちに、人生に漂流してるうちに、いろんな条件が揃ってくる。だから焦ってもだめだし、ギラギラしてもだめ。風が吹いてくるのを待つしかない。でも、たしかに風は吹いてくるのよ」
「例えばオレの体験で言うと、『ヨーロッパ企画』っていう京都の劇団と知り合ったのはもう7年前だけど、彼らと何かやれたらいいねって、藤やん(藤村忠寿)とずっと考えていて。でも、結局、彼らと仕事をするようになったのは、つい2年くらい前で、『ヨーロッパ企画です』っていうタイトルのコントを撮りだしてDVDにもしたんだよ。
つい最近、シーズン2を撮り始めたのね。そしたら、だんだんやりたいこと、やれること、すでにやってしまってること、いろんな発見をしだすんだね。ある瞬間に『あぁ、どこか性質の近いものを持ってるヨーロッパ企画とやることで、なんか、やれることが見えてくる』って思ったんだね。実感として。
風が吹くんだね。風が吹いてきたから帆を上げてみた、そしたらスーッと滑るように舟が快速で走り始める実感がするんだ。気持ちいい、楽しい、みたいなね。いろいろやって生きてるうちに、気の合う人たちと出会うことがあって、そこに、いい風が吹いてくるときがある。そのときに帆を上げる。そのときにだけ、舟は無理なく進み始めるし、楽しくなる。そういった流れの繰り返しの中で、人は学んでいくようにできてる。そういう順番じゃない? 天職ってのが宝の山みたいにどっかで待ってるから、それを探せ!なんて順番じゃないと思う」
――嬉野さんにとって「水曜どうでしょう」という番組も、まさに風が吹いた出来事だったんでしょうか。
「本にも書いたけど、オレにも藤村くんにも、大泉くんにも鈴井さんにも、あのころ『水曜どうでしょう』しか可能性がなかったということね。だから必死だったと思うのよね。頼れる人間はこの4人しかいないから、おのおのが、自分で自分の持ち場を発見していったんだと思う。面白い番組にしたいって思いながらね。
まぁ、あの番組に関しては、風はわりと早い段階で吹き始めたと思うけどね(笑)。でももちろん、最初から今みたいな形の番組を目指していたわけではなかった。『やりたかったのはこれだよね』という思いに行きつくまでは、やっぱりいろんな思いついたことをやってみた、そのうち風が吹いてきた、一気に帆を上げた……っていう順番があるだけだなって思うよ」
「今のあんたでいいよ」と言ってくれる人に、そそのかされてみればいい
――嬉野さんにとっての「水曜どうでしょう」のように、自分がありのままでいられる仕事を誰もが探していると思うんです。そうした仕事はどうしたら見つけられると思いますか。
「出会いだと思うよ。50歳過ぎた今でもまだ出会いはあるしね。結局、出会いってさ『今のあんたのままでいいじゃん』って言ってくれる人が自分の人生に登場することだと思うのよ。
じゃあ、そんな出会いを引き寄せるために、どうすればいいのか。今って『こんなこと言ったら嫌われるかも』って思っちゃって、『オレはこういうのが好きなんだ』ってなかなか言いにくいってことあるかもしれないけど。そのリスクを負ってでも、自分の思ってることを恥ずかしげもなく公言してしまうといいと思うよ。
近くの人から批判されたりバカにされたりしても、ひょっとしたら、そんな発言を遠くで聞いてる人がいてね、『あ!そうそう! オレもあんたの考えでいいと思うんだよ!』って発見してくれるってことがある。
他人は本来、自分を助けてくれる存在だと考えてもいいってオレは思ってる。そのためにも、自分はこういうことが好きだって自分を正直にアピールしていないと、自分を助けてくれる人に発見してもらえない」
――「オレはこれが好きなんだ」「これが面白いと思う」と大声で言うことで、叩かれるかもしれません。怖くはないですか。
「そんなことで叩く人は、しょせんオレに興味のない人だと思うんだよね。やっぱり自分に興味を持ってくれる人と出会わないといけないと思ってたほうがいいよ。
読売テレビの西田二郎さんとは、藤やんを通して、つい最近出会ったばかりなんだけど、『嬉野さんには思想があるでしょ。藤やんと一緒のときは水曜どうでしょうの“うれしー”やけど、それだけが嬉野さんと違う。“うれしー”やない嬉野さんもおるからね。それを出してやるためには、ひとりで講演会とかどんどんしたほうがいいと思うよ』って。
そうやってオレのことをオレ以上に見てくれる人が出現してくる。ひょっとしたら自分のことは自分より他人のほうが知っているかもしれない、とも思うよね。だからオレはね、本気の熱をもってそそのかしてくれる人がいて、自分の中にもたしかにそういうことはしてみたいという気持ちがあった場合は、誘いに乗っかってしまおうって決めたんだよ。自分の中のルールのようにね」
――そそのかされるって、いいこともあるんですね。
「自分の殻を破るためには、そそのかされるのは一番いいと思うのよ。そそのかしてるのは他人だから、もしかしたらウソを言ってるのかもしれない。でも、どんなにその人間の腹の底を覗こうとしても、結局、ウソか本当かを見極めることはできないでしょ。おべんちゃら言ってるのかもしれないよ。でも、しきりにそそのかすその人の言葉に熱があると信じられるのなら、そして、自分の中にも、やってもいいかなって気持ちがないわけじゃないなって思うのなら、渦中に飛び込んでみるのがいいと、このごろ思うのね。
そうやってそそのかされて、『えいや!』ってその渦中に身を置いてしまったら最後、人はなんとかしようとジタバタし始めるでしょ。必死になってあがくから、何かつかんで活路が開けることがあるのよ。もちろん、何もつかめず失敗することもあるだろうし、そのときは『失敗したな』って、『やっぱりオレってこれダメか』って、しくじった自分を嘆くんじゃなくて、その状況を味わえばいいような気がする。
成功した自分も失敗した自分も、両方冷静に見つめることで、自分の形状がすこしずつ明らかになっていくんじゃないかなって思う。人にそそのかされて、思いきってやってみて、自分も知らない自分に出会うことがあるのよ。『ウソから出たまこと』ってことわざがあるけど、こうしたことじゃないのかって思うのね。そうして、そういうことを繰り返すうちに、自分のままに生きることができるようになるかもしれない。
天職ってものがあって、職業としてどこかで待ち構えてるとはぜんぜん思わないけど、出会いを繰り返すうちに、『自分のままでいていいよ』と許される場を獲得することができてきたら、それは天職っていうのに限りなく近いことのように思えるかな」
(参考書籍)
『ひらあやまり』(嬉野雅道/KADOKAWA)
※この記事は2015/10/28にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
あなたの本当の年収がわかる!?
わずか3分であなたの適正年収を診断します