「令和」の典拠となって注目を浴びている『万葉集』。成立したのが1300年近くも前だったり、すべて漢字の音(おん)による当て字で書かれた歌集だったりするので、縁遠いと感じる人も多いのではないでしょうか。
でも、『万葉集』は和歌が定型化する前の暮らしに根ざした歌があるのが特徴で、「サラリーマン川柳」さながらの歌もあります。
単身赴任中の孤独から現地の女性と深い仲に
大伴家持が、単身赴任中の部下に贈った歌です。部下は、赴任先で知り合った「左夫流(さぶる)」(以下、サブル)という遊女と「結婚したい! 妻と別れる!」と言いだしたのですが、そんな部下を
「奈良の奥さんが首を長くして待っているだろうに可哀想じゃないか」
と諭したのです。部下はサブルと相愛になり、サブルの家から通勤していました。それは町中の噂になっていて、家持はさらに歌を詠みます。
「みんなの手前も恥ずかしい。サブルに骨抜きになった君の出勤する後ろ姿がな!」
「(サブルを色に例えて)派手な紅は色あせるものだ。(一方、奈良の奥さんに例えて)どんぐりで染めた黒っぽい、なじんだ服がやっぱりいいんだ」
こんなふうにして、サブルに溺れる部下を歌で説得しようと試みる家持でしたが……2日後、部下の妻がはるばる奈良から越中(富山県)に早馬で駆けつけ、サブルの家に乗り込んだので、町は大騒ぎになってしまいました。
その後、部下の家庭がどうなったかは分かりません。しかし、単身赴任中の孤独から現地の女性と深い仲になり、それが会社の噂になって上司に注意を受け、さらには妻が……というのは今もあり得る展開。現代のビジネスマンも反面教師としたいところですね。
ぼっち飯やクリぼっちを余儀なくされるビジネスマンも共感
一連の歌で部下を諭した大伴家持は『万葉集』の編纂者と言われています。
「ひばりが空高く上がる、うららかに晴れた春、心が悲しい。ひとり考え事をしているから」
ハロウィンやクリスマスのように皆が浮き立つときほど、孤独が身にしみる……というやつです。リア充を羨む心境だけではありません。仲間が遊んでいるとき、ひとり黙々と仕事をせねばならぬ孤独にも通じるものがあります。
いろんな理由でぼっち飯やクリぼっちを余儀なくされるビジネスマンも共感できる心情でしょう。
仕事に恋のエネルギーをつぎ込んでおけば……
『万葉集』には、サラリーマンがツイッターでつぶやいたような歌もあります。
「ここ最近の、自分が恋に傾けた労力を計算して人事考課シートに書き連ねて提出したら、五位の冠くらいは得ていた」
というのです。五位というのは貴族とそうでない人との境目のような位で、従五位の給料は今の貨幣価値に換算すると1540万円であるのに対し、正六位は704万円(坪井清足『平城京再現』)。五位と六位では段違い。恋のエネルギーを仕事につぎ込んでいれば……というわけです。
このぼやきからすると詠み手は振られてしまったのか。あるいは恋は成就したものの、気づけば同期に遅れを取ったというような状況だったのでしょうか。確かめようがないのですが、これだけ知的な歌が詠めれば、今回はダメでも次は大丈夫! と励ましたい。もちろん恋も仕事もです。
『万葉集』にはほかにも、生活感に満ちた歌、ツイッターのつぶやきのような歌がたくさんあります。
歌の半数近くが詠み人知らずであるのも匿名性の高いSNSに通じる『万葉集』。この機会にぜひ、その世界に触れてみてはいかがでしょう。
古典エッセイスト┃大塚ひかり
早稲田大学第一文学部で日本史学専攻。出版社勤務ののち『いつの日か別の日か』(主婦の友社)を上梓。『源氏物語』全訳(ちくま文庫)、『昔話はなぜお爺さんとお婆さんが主役なのか』(草思社文庫)、『本当はエロかった昔の日本』(新潮文庫)、『女系図でみる驚きの日本史』(新潮新書)など著書多数。8月に新潮社から『万葉集』の本を刊行予定。趣味は系図作り。
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