「旅館を憧れの職業に」週休3日なのに年収アップ! 元エンジニアが起こす老舗旅館のIT革命

週休3日、従業員はタブレットを駆使して連携を取り、接客する――。

「旅館を憧れの職業に」週休3日なのに年収アップ! 元エンジニアが起こす老舗旅館のIT革命

週休3日、従業員はタブレットを駆使して連携を取り、接客する――。

そんな従来の旅館の常識を覆すような発想で、業界中から注目を集めているのが老舗旅館「元湯 陣屋」。同旅館は、新宿から小田急線で約1時間の鶴巻温泉にあり、大正7年から約100年続く老舗旅館。囲碁や将棋の対局の場としても知られており、昭和の頃から300局以上の対局が行われてきたといいます。

しかし、鶴巻温泉は近年市街化が進んでおり、以前17軒あった旅館は今では陣屋を入れて3軒のみ。そして数年前まで陣屋もその長い歴史に幕を下ろさざるを得ないほどの経営危機に陥っていました。

そこで立ち上がったのが陣屋の4代目代表、当時ホンダの“エンジニア”だった宮崎富夫さんです。

老舗旅館に吹いたホンダの風


宮崎さんは慶應義塾大学・理工学部を卒業後、本田技術研究所に入社。研究部門で燃料電池の研究開発を担当していましたが、入社から8年目の2009年、当時起きたリーマンショックのあおりを受けて、家業の陣屋が経営難に陥ったことを知らされます。その前年に父親が他界し、女将だった母親が入院したこともあり、2009年10月に陣屋を引き継ぐことを決意。4代目社長となりました。

「就任当時、過去10年間で売り上げは右肩下がりになっており、ピーク時には年間5億もあった売り上げは、私が継いだ時点には2億9000万円まで下がっていました。売り上げからすると減価償却(※)前にもかかわらずマイナス6000万円という赤字。さらに銀行への借り入れが10億円ほどありましたので、追加の融資も断られ非常に厳しい経営状態でした」(宮崎さん、以下同)

※減価償却:所定の費用配分の原則に基づき、有形固定資産の原価を使う年数に応じ小分けにして費用に配分すること。


通常、旅館を家業とする経営者は、有名旅館などで数年修業をして自身の旅館に帰ってくるのが一般的とされていましたが、宮崎さんは旅館のことを全く知らない状態で継業。そこで宮崎さんの頭に浮かんだのは、ホンダで言われ続けてきた“ある言葉”でした。

「ホンダでは“三現主義”(「現場」「現実」「現物」)とよく言われました。私も旅館を引き継いでから、すぐに自分で何かをするのではなく、まず現場を見て何が起こっているのか二カ月間ほど様子を見ていたんです」

そこで見えてきたのは、大きく分けて2つの問題点。

・空室を埋めるための安売りによって起こる品質低下

・無駄の多いバックヤード仕事


そこでまず、単価を下げて客を呼び込むのではなく、品質を向上させる経営に路線変更。そして囲碁将棋の対局のためだけ使われていた「貴賓室」を解放し、高単価で付加価値をつくっていくという実験を試みることに。

「F1は“走る実験室”といわれています。F1で技術を試して、成功したものを量産車に展開するということをホンダでもやっていました。それと同じ考え方で、まずは走り出してみたんです」

旅館でITシステムを開発!?


そして陣屋の経営を大きく変えたのが、無駄が多かったバックヤードの「IT化」。

陣屋には当時120名のスタッフがいましたが、その多くが接客ではなくバックヤードの仕事に時間を割かれていることに、宮崎さんは問題を感じたそうです。

「当時は、予約も顧客管理も紙の台帳でしたので、清書してコピーしたものを毎日スタッフに配っていました。さらに当日変更があった際はホワイトボードに変更点を書いていく。書き写しの手間が多すぎたんです。

このホワイトボードに書かれたものが最新情報になるわけですが、次の日には消されてしまうので顧客情報が残らない。ネットのようにあとで検索することさえできない。結果的に、前回いらっしゃったときにお出した料理や、好きなビールの銘柄などの顧客情報がベテランスタッフや女将の頭の中にしか残らないのです。しかし人の記憶は曖昧で忘れがちなもの。記憶違いでの失敗も多くありました」

そこでITシステムを導入しようと既存のシステムの購入を検討しましたが、予算と使い勝手の視点から希望するシステムがなかったため、宮崎さんは旅館としては異例ともいえる、システムエンジニアの採用とシステム開発を始めました。そこで生まれたのが旅館専用のITシステム「陣屋コネクト」です。

「紙ではなく、スタッフ全員でクラウドに情報を残し、最新情報はクラウドに見にいって共有する。これで書き写しにかかる無駄な時間や、情報伝達の齟齬を解決しました。

また、それまではスタッフ同士の情報伝達は旅館内の電話を使っていましたが、電話だと一対一でしか伝わらないし電話に出られないこともある。鳴らしているスタッフの仕事も止まってしまいます。

そこでスタッフにタブレット端末を携帯させました。タブレット端末に話しかけると音声認識で文字になり、『音声+文字』で相手に届くようにしたのです。もし相手が接客中で音声を聞き逃しても、ボタンを押すと音声を聞き直せます。これにより、情報の漏れがなくなりました」

陣屋コネクトの開発により、昼礼や夕礼も廃止。多くのスタッフが接客に十分な時間を充てることができ、顧客満足度が大幅に向上したそうです。

現在、この「陣屋コネクト」は陣屋だけでなく、ライセンス契約された全国200以上の宿泊施設で使われています。

「システムが完成してから3年ほど経つとスタッフからの要望もなくなってきたのですが、逆にそのことに危機感を感じていました。そんなとき、他の旅館の方が視察にいらして、自分の旅館でも使いたい、という声があったのです。システムの開発にはコストがかかるので、陣屋システムのライセンス料をいただく形で販売し、その利益を研究開発に充て、みんなで使ってみんなで良くしていく方が理想的だと思いました」

 

「週休3日」なのに、売り上げが6割アップ!?


宮崎さんは、ITシステムによる業務の効率化のほかに、スタッフの仕事の生産性も効率化させました。

それまで陣屋では、炭火焼レストランで炭を起こすだけのスタッフ、客の出迎えで太鼓を叩くだけのスタッフなど、それぞれ専門分野のスタッフがいました。各部門同士は干渉せず、お互いの仕事を助け合わないなど派閥があったそうです。そこで、1人がさまざまな仕事をこなせるように、スタッフのマルチオペレーション化に着手したのですが……。

「ここが一番スタッフの反発があったところです。『あの人たちとは仕事をしたくない』と20~30人のスタッフが一気に辞めていってしまいました。でもシステムもそうですが、最初は不満の声だけだったのが、当たり前になって慣れてくるとその声はだんだんと小さくなっていきました。

お客様から『良くなったね』とお褒めの言葉をいただいたことも大きいですね。それまでは不満ばかりでしたから(笑)」

ITシステムやマルチオペレーションの導入により、以前120人いたスタッフは自主退職などで自然に減員し、現在は1/3の40人ほどに。さらに宮崎さんは旅館としては異例の「週休3日制」を導入します。

「3年でなんとか経営が軌道に乗りましたが、私も女将も休みなしで忙しく働いており、心身ともに疲弊していました。そのとき、こんな生活をこの先何十年も続けることができるのだろうか? スタッフにとっても幸せなのだろうか? と疑問に思ったのです。

現在、月・火・水は宿泊の予約をとらず、休館日にすることで、スタッフの離職率は1/10まで減りました。スタッフが離職しなければ、よりスキルが上がり良いおもてなしができますし、採用コストも削減できます。スタッフからは、『ヨガなどの習い事や、旅行ができるようになった。ほかの旅館に泊まってみたら自分の勉強になった』という声を聞きますね。

週に7日の貴重な時間を、さまざまなことにかけると勉強になって良いのではないかなと思います。私自身も旅館の仕事プラスITの仕事をしていたから視野が広がりました。ですので、陣屋では副業を禁止していません。週休3日は、新しい仕事・勉強・趣味、何に充ててもいい。時間を自分のスキルアップに使うスタッフを応援したいですね。


また、週3の休館日を作ることで、営業日は女将、料理長、接客スタッフのフルメンバー体制でいられます。いつもと同じスタッフがみんなでお客様を迎えることで、顧客満足度の向上にもつながりました。

週休3日では、短期的に売り上げは減るだろうと予想していましたが、実際にやってみたところ売り上げはそこまで下がらずに利益も上がりました」

365日フル稼働が当たり前だった旅館業ですが、その常識を覆す“週休3日制度”により、「顧客満足」「従業員満足」「利益」のすべてがプラスになったそうです。

「昨年は売り上げ60%アップの4億5000万円。利益は1億2000万円。週休3日制に変わりましたが、スタッフの平均年収は以前の280万円から400万円にアップしています」

旅館を憧れの職業に


旅館業界の平均年収は約230万円。平均年収が低く、離職率も高いため、「やりたい職業になっていない」ことに宮崎さんは危機感を感じているそうです。

「旅館業を憧れの職業にしていきたいと思っています。それを実践するため、働くスタッフにとってだけでなく、お客様にとっても憧れの旅館を目指しています。

陣屋コネクトは全国のさまざまな旅館のノウハウやアイデアが一つのシステムに集約されており、それをみんなで使うというもの。これをみんなで使っていけば、日本のおもてなしのレベルや、旅館の生産性が上がり、旅館が憧れの職業に近づくはずです。

陣屋は、その陣屋コネクトを最初に使うユーザーであり、システムを使える人を育てる研修センターであり、開発の研究所であり、効果が出ているのか他の旅館さんに見ていただくショールームと位置づけています。陣屋旅館と陣屋コネクトを車の両輪のように前へ進めていくことで、旅館を憧れの職業にしていきたいのです」


そう切望する中で陣屋の危機を救った宮崎さんは今、さらなる多くの旅館を救おうとしています。中でも力を入れているのが「陣屋EXPO」という仕組み。

「旅館同士でいろいろなリソースを交換して助け合う仕組みです。例えば、長野の旅館の料理人に雪が降る閑散期だけ陣屋に研修に来てもらうことで、陣屋としても人手が増えて助かります。食材も地元で採れた規格外の食材を交換し合ったり、共同で大量に仕入れすることにより安くしたり。そのほか器の貸し借りなど、お互いのエリアを超えて助け合いたいんです。

他の旅館との連泊プランも作っています。例えば1泊目は陣屋に泊まって和食を堪能していただき、2泊目はロールスロイスで箱根オーベルジュ オー・ミラドーまで送迎してフレンチを楽しんでいただくというもの。鶴巻温泉はあまり観光スポットがありませんが、箱根まで送迎すれば観光スポットをご案内できます。点ではなく線でつながり、途中の観光地とのコラボも生まれ、今まで以上にお客様の満足度も上がるだろうと考えています」

この仕組みにより、従来の旅行エージェントに頼った集客からの脱却を狙います。

「大手チェーンは資金が潤沢なため、採用の力も強く研修もしっかりできる。システム化もされているのでもうかる仕組みがあり、さらに大きくなっていきます。しかし、小さな旅館は逆にどんどん経営が苦しくなり弱くなっているのが現状です。小さな旅館やホテルでも大手に負けない仕組みづくりをすることが、日本の旅館を守り通していくために必要だと思っています。

今後は陣屋を増やすつもりはなく、これからも今ある旅館をシステムや仕組みで後ろから支えることに特化していくつもりです」

 

松明は自分の手で


エンジニアとして養った視点やスキルを、180度違う旅館業という場所で発揮することで革命を起こし続ける宮崎さん。最後に、宮崎さんが大切にしているホンダで学んだ考え方について教えていただきました。

「経営者の本田宗一郎と共にホンダを世界的な大企業に育て上げた藤沢武夫の言葉で、『松明(たいまつ)は自分の手で』という言葉があります。この言葉は、先の見えないところでは誰かの後について行くのではなく、まず自分が率先して松明を持って先に進めという意味がこめられており、『誰かが成功した道を歩むのではなく、自分自身で道を切り開くべき』という言葉です。

また、上司からは『コア技術は自分でやれ』とよく言われていました。これは重要なエンジンなどのコア技術は、どこかに任せたり丸投げするのではなく、自分で苦労してながら培っていくべき、ということ。陣屋の経営を引き継いだ当時、旅館が使えるクラウドシステムはありませんでしたが、この言葉たちがあったからこそ、ないからと言って諦めるのではなく自分で作ろう、という発想になれたのです」

思いもよらず、異業種への転身となった宮崎さん。しかし、それまでに培ってきたスキルは決して無駄になることはなく、むしろ新たな革命を起こす幹として、陣屋をはじめ旅館業の歴史を変えようとしています。

少し視点を変えて見ることで、「できない」と思っていたものが姿を変え、あなたの才能を芽吹かせてくれるかもしれません。

(取材・文:ケンジパーマ)

識者プロフィール
宮崎富夫(みやざき・とみお)
慶應義塾大学大学院を卒業後、株式会社本田技術研究所に入社。2009年10月より家業を引き継ぎ、鶴巻温泉 元湯陣屋の代表取締役社長に就任。クラウド型 予約・顧客管理システムを自社開発し、ITを活用したデータ分析とおもてなし向上を実現。2012年4月、株式会社セールスフォース・ドットコムのOEMパートナーとなり、自社開発したシステム「陣屋コネクト」を全国のホテル・旅館に提供を開始。

※この記事は2017/06/28にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。

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