海外の人に日本酒の良さを伝え、日本の酒蔵文化に貢献する仕事である「日本酒ソムリエ」という職業があるのをご存知でしょうか?
その職業で第一人者であるのが、菊谷なつきさん。アメリカの大学を卒業後、大手人材会社に就職したキャリアを捨ててまで、日本酒ソムリエの道を選んだ背景には、どのような転機があったのでしょうか。現在はロンドンで仕事を行う菊谷さんに話を聞きました。
仕事中毒かと思うほど働いた、「ベンチャー企業」での2年半
――日本酒ソムリエとして活動する前、菊谷さんは組織人事系のコンサルティング会社に新卒で入社していたそうですね。そのころについて教えてください。
「ワシントン州の大学で社会学を勉強しながら、NPO団体と一緒に中南米からのアメリカの移民問題などについて勉強していました。課外活動やドキュメンタリー映画の制作などに熱中していて、そのころは自分もNPO・NGO団体で働くと思っていました。親にも『私は資本主義のシステムの中で働きたくない』と言うようなタイプだったので(笑)。
しかし、活動を続けているうちに、草の根運動を続けても、社会のシステム自体を変えられないし、問題の根本的な解決につながらないということに気づいたんです。であるなら一度、ビジネスの世界に身を投じてみることで、自分にできることが新たに見えてくると思って、企業に就職する道を選びました」
――就職活動は日本でしたんですよね。
「はい。日本に一時帰国して行いました。アメリカの文化に慣れていた自分にとって、日本の就職活動はすごく新鮮で、自由に映りました。金融の勉強をしていなくても、投資銀行に就職できるし、合同説明会のように一度に複数の企業の話を聞きに行けるチャンスがあるのが面白いなって思ったんです。
一度興味を持つととことんやってしまうタイプなので、日本の会社がどんなことをやっているのか知りたくて、1日に4-5件説明会の予約を入れて話を聞きに行っていました。合計100社ほどは説明会に参加したと思います。
その中で、リンクアンドモチベーションという組織人事系のコンサルティング企業に一目惚れしたんです。というのも説明会で話す従業員が若くて、エネルギーに満ちている。学生時代に熱中したころの話をしてくれる。仕事内容というよりは、そんな人の魅力に引かれて応募しました」
――入社しての印象は?
「入社前に感じていたイメージ通り、熱くて魅力がある人たちと一緒に仕事ができました。同期もそれぞれ学生時代にスポーツだったり、ビジネスコンテストだったり、何かしらに熱中した人たちが集まっていたので、フィールドは違うのですがシンパシーを感じましたし、そういう人たちに囲まれて刺激的でした。彼らとともに朝から晩まで2年半の間、仕事中毒かと思うくらいに働きました。そのころに社会人の基礎がたたき込まれたと思っています」
祖父の病がきっかけで日本酒の世界に
――そんなに夢中に仕事をしていたのに、なぜ仕事を辞めたのでしょうか?
「もともと人の魅力や会社の精神性に引かれて就職したということもあって、自分の中に、『この仕事を通じてこれを達成したい!』というビジョンがなかったんです。なので、やりたいことが見つかったときはいつでも挑戦するつもりでいました。
また仕事一筋でやることで、精神的にも肉体的にも疲れてきた部分も正直ありました。自分の実力を蓄えることができる会社ではあるけれど、ずっと自分が働いていられはしないと思うようになりました。
そんななか、祖父が病に倒れてしまったんです。当時、仕事にどっぷり打ち込んでいたので、祖父母に顔を見せるような機会も減っていました。そのとき、大切な家族とは何かを突きつけられたんです。
「大好きな祖父のために何かできるだろうか?」と考えたときに、まずは今の仕事を辞めて、祖父の人生をかけた日本酒の世界を勉強したいと一念発起して、退職しました。そのあとすぐに東京のはせがわ酒店というところのアルバイトに申し込んだんです」
――一流企業をいきなり退職して、アルバイトですか?
「はい。今だったらもう少しやり方があったんじゃないかと思うのですが、当時はとにかく祖父のためにできることをしたいという気持ちが強かったんです。そこで修行させていただきながら、SSI(日本酒サービス研究会)という団体が行っている『利酒師検定』という資格を取得するべく勉強したり、日本の酒蔵の歴史を学んでいました。
最初は『祖父のために』という気持ちで志した日本酒の道ですが、学べば学ぶほど奥が深いことに気づかされていきました。しかも幸い、祖父が元気になって、すぐに実家に戻る必要もなくなりました。『もっと日本酒について勉強したい!』という気持ちが芽生えた私は、日本全国の酒蔵を巡る旅を始めたんです」
――そこでどのようなことを学んだのでしょうか。
「いろいろな酒蔵さんに行って話を聞いているうちに、業界の不満や問題を知りました。現在ある日本の酒蔵1,500のうち、毎年5-10くらい消えているという問題です。歴史や伝統が長い一方で、日本国内でのマーケティングやブランディングという部分がおろそかになっているということを体感したのです。だったら、私は英語が話せるし、海外に目を向けて、日本酒のマーケティングやブランディングを担おうと思って、単身渡英を決意したんです」
2015年10月に行われた、若手の日本酒文化に貢献した人が参加する「酒サムライ叙任式」の様子 2015年10月に行われた、若手の日本酒文化に貢献した人が参加する「酒サムライ叙任式」の様子
収入は新卒時の2/3。それでも仕事に納得できた
――単身渡英の経緯を教えてください。
「アメリカは日本酒の輸出が1位なので、私があえて行って宣伝活動する必要はないと思っていました。そうであるなら、食文化に影響力があって、まだ市場がない国で活動をすべきだなと考えたんです。
あまり知られていませんが、フレンチワインが世界各国に普及したきっかけのひとつに、イギリス人がフレンチワインを正しく品定めをしたという歴史があります。その他にもさまざまなものの世界基準を英国が定めてきたという経緯もあり、ワインと同じようにイギリスで正しく日本酒を品定めしてもらうことで、ヨーロッパ諸国に魅力が伝わっていくと思ったんです。そういうことを考えているうちに、ロンドンの高級レストラン『ZUMA』から酒ソムリエとしてのオファーがありました」
――ZUMAでの仕事は順調でしたか?
「セレブリティーや超富裕層の方々が訪れるようなレストランだったので、ロンドンでは恐らく最多の日本酒を扱うことができました。お客さまの影響力もかなりあり、日本酒ファンになったお客さまが日本酒を気に入ってくれて、次に友人を連れてやってきてくれたりするのにはやりがいや喜びを感じました。
一方で、前例のある役職ではないので、まだまだ日本酒文化への誤解や不理解がある中で、日本酒を売れる状態にするのにはかなり試行錯誤しました。毎日のように同じような説明を繰り返さなくてはいけない、業界の特性上、退職率も高くトレーニングした従業員がすぐに辞めてしまうなど、大変なこともありました。お給料は新卒時の2/3程度でしたし、同期が出世していく様子を見て、自分はこれでいいのかなと思ったりしました。でも自分の日本酒への熱を伝えれば伝えるほど日本酒の売上も伸び、自分にしかできない仕事ができているという部分で納得がいきました」
レストランで外国人相手に日本酒について伝える菊谷さんの様子 レストランで外国人相手に日本酒について伝える菊谷さんの様子
異なる価値観や文化をつなぐ架け橋になりたい
――菊谷さんが、今のように世界に広く視野を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?
「幼少のころからかなり好奇心旺盛で、弟を連れて外を駆けずり回ったり、ガールスカウト活動をしたりしていました。『世界中の人と友達になりたい』という単純な動機で中学生のころから海外への憧れを抱いていた私は、高校一年生のころ、NPO団体がタイでのボランティアキャンプを募集しているのを知って、応募しました。
1カ月間、電気もないパヤオという小さな村で、さまざまな国の異なる価値観を持つ人たちといろいろな話をして過ごすことができました。そのころに、違った価値観を持った人たちの架け橋になるような仕事がしたい、と思うようになったんです。その体験が自分のルーツだと思っています」
――だからこそ、日本の伝統的な日本酒という文化を世界に伝えるという、架け橋となる仕事をされているんですね。これからどのような役割を果たしていきたいですか?
「2013年にZUMAグループを辞めて、Museum of Sakeという事業を起こしました。これは日本酒の教育とPRに特化した会社で、世界で日本酒の教育をするWine and Spirits Education Trust(WSET)が立ち上げた日本酒講座の監修を行うなどの活動をしています。これからも日本酒の歴史や文化についての教育を体系化して、世界の多くの人に学ぶ機会を提供できるような仕組みをつくっていきたいと思っています。
同時に、若い方、特に女性にこの業界に興味を持ってもらえるように、自分自身が楽しんで働いて、『菊谷さんのようになりたい』と思ってもらえるロールモデルになっていきたいな、という気持ちもありますね」
――働き方に悩む読者にメッセージがあればお願いします。
「会社を3年足らずで辞めた人間なので、特別偉そうなことは言えません。ただ自分にやりたいことがあるなら、形式や常識にこだわっていたらいけないと思っています。
もちろん形式や常識を重んじることは大切ですが、一方で何かを得たいのであれば、形式や常識にとらわれず、突き抜けることが大事だと思っています。突き抜ける際には犠牲が伴います。今の暮らしと天秤にかけてみて、それでももし自分のなかに燃えるような思いを抱いているのであれば、その気持ちを大事にしてみたほうがいいのではないでしょうか」
識者プロフィール
菊谷なつき(きくや・なつき)千葉県出身、1982年生まれ。秋田で360年以上酒造業を営む蔵元の家系に生まれる。アメリカの大学を卒業後、コンサルティング会社に2年半勤め、2009年に酒の道に進むことを決めて同社を退社。同年に渡英し、現地の高級日本料理レストランZUMA、ROKAの日本酒ソムリエとして勤務。2013年にイギリスで起業を決意し、Museum of Sakeを立ち上げる。現在は日本酒普及のためのプロモーション活動と教育活動を行っている。菊谷さんのウェブサイトはこちら
※この記事は2015/11/26にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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