20代のビジネスパーソンにとって、キャリアに関する悩みはつきものではないでしょうか。今はまだ、やりたい仕事に就けていない、という人もいるかもしれません。
今回ご紹介するコミュニケーションデザイナーの世瀬健二郎さんも、新卒で入社した株式会社東急エージェンシーで配属されたのはイメージしていた企画職ではなく、想定外ともいえるデジタルメディア(営業)職でした。それでも「クリエイティブをつくりたい」という思いをあきらめることなく、入社から7年間の月日を経て2014年に電通へ移籍。多数の広告賞を受賞するなど、世瀬さんは今では広告業界でもっともご活躍されている人の一人です。
「自分はいわゆるエリートの道をたどってきたわけではない」と話す世瀬さんですが、ステップアップをかなえた裏には世瀬さんなりの地道な努力がありました。キャリアの転機になったポイントを3つに絞り、その軌跡をお届けします。
【キャリアの転機1】頼まれてないけど、率先して企画をつくっていった
―何度かキャリアチェンジをされているそうですが、これまでのキャリアについて教えてください。
僕は美術系の高校と教育大学の図画工作専攻を卒業し、2007年に新卒で株式会社東急エージェンシーに入社しました。当時は「絵とアイデアの能力を生かしてクリエイターになりたい」と意気込んでいたものの、配属されたのはデジタルメディアの部署。要はメディアの媒体枠をプランニングして売る、企画より少し距離のあるメディア営業に近い仕事でした。
そこから地道に努力を重ねて、2年半後、ようやく希望通りのデジタルクリエイティブ部署への異動が決まりました。その後、縁あって会社が姉妹提携を結んでいる米資本の外資系エージェンシーの上海支社で、約半年間勤務しました。そして2014年、現在勤務している電通に移籍して今に至ります。
―最初に配属されたデジタルメディア職では、どんな努力をされたのでしょうか?
「正直、入社前にイメージしていた仕事ではなかったものの、まずは与えられた職務で結果を残そう!」と、気合いで広告枠を売りさばきました。でもそのうち、メディアを売る職とはいえ「広告枠だけを売っていても意味がないんじゃないか」と小さな疑問が生まれたんです。そこから頼まれてもいないのに広告のアイデアを考え、枠と合わせて一緒に営業してみたら、「君、そっちのほうがセンスあるんじゃない?」ってすごく好評で。
その後、とあるクライアントさん向けにつくったインタラクティブバナー(※)が国内のアワードを奇跡的に受賞して、徐々に周囲の信頼を得ていきました。
※インタラクティブバナー……ユーザーがアクションを起こせるような仕掛けを組み込んだバナー広告
―その努力があったからこそ、念願だったデジタルクリエイティブ部署への異動がかなったのですね。
キャパを120%まで広げて、与えられたことを100%でやりつつ、残りの20%で頼まれてもいないアイデアを考えたり、自主的に広告賞に応募したりしていました。そのアグレッシブさが、希望の部署への異動という展開につながったと思っています。今まで一度も異動希望を出したことがないのですが、理想の環境は自分の行動次第でつくり出せるものだと実感しました。
―目立った行動をとると、「出る杭は打たれる」なんてこともあるかもしれませんが、人間関係で気をつけていたことはありますか?
誰からも嫌われないようにしていました(笑)。広告業界って、営業側の人間とクリエイティブ側の人間に距離があったりするんですよ。昔からデニム族(クリエイティブ)とスーツ族(営業)って言われていて。僕はうまいこと両者の橋渡し役みたいなスタンスでいたから、どちらとも仲良くバランスをとることができたのかもしれません。
【キャリアの転機2】斜め上の発想でクリエイトした
―やりたかったクリエイティブ職に就いてから、評価を得るために意識していたことはなんですか?
一番意識していたのは、「当たり前や常識を疑う」というクリティカルシンキングです。僕に与えられたミッションはデジタルというフィールドで、新しいテクノロジーをどんどん取り入れたり、トレンドをとらえた企画を提案して世の中をざわつかせることでした。でも僕はあまのじゃくなのか、デジタルだけに偏るのは違和感があったので、雑誌とかテレビとか非デジタルな媒体もプランニングしたりして、柔軟に動いていました。
今もそうだったりもしますが、当時から「マス対デジタル」と言われていて、両者には深い溝があったんです。僕はその2つの真ん中にいるようなスタンスで動いていたおかげで、徐々に仕事の幅が広がっていきました。そういう行動を認めてくれる方が上司だったので、それもすごく幸運でした。
―世瀬さんならではのアイデア発想術などはありますか?
他人のアイデアに埋もれないようにするために、オリジナリティーを出しながらも人の裏をかくようにしていますね。「斜め上の発想」と言いますか。たとえば、とあるアーティストの案件であれば、プレゼン資料の1枚目に「自分は何者なのか」や「そのアーティストの好きな曲」を書いた資料を入れたりする。そういうことって、みんな意外とやらないんですよ。
でもアーティストの案件ってご本人がプレゼン資料に目を通すことが多いから、そういった気持ちがこもった資料が一枚でも入っているだけで、アーティストの目に留まって企画が通りやすくなることがあるんです。
―そのような「人と違う視点」は、どのように生まれたのでしょう?
おそらく家庭環境も関係しているのかもしれません。うちの家庭は自主性を重んじていて、僕が自主的に何かをやることですごく褒めてもらえたんです。みんなが持っているゲームとかは全然買ってくれないのですが、高校生のときに「誰もやっていないことだから、日本を一周してみたい」と言ったら、その費用はすべて両親が出してくれました。常に「どういうことをしたら、家族や友達が面白がってくれるだろう」と考えていたことで、ユニークな視点が育まれてきたのかもしれません。
【キャリアの転機3】日本を離れ、異国で働いて気づいたこと
―その後、世瀬さんは上海で半年間弱、勤務されていますよね。これは、どのようなキッカケがあったのですか?
東急エージェンシーでのキャリアも6年を過ぎて、だんだんと仕事や環境に満足していくなかで、再び小さな疑問が生まれました。「なんでずっと同じ場所で働いているんだろう。もっと自分の可能性を試してみたい」って。それで、同社が姉妹提携を結んでいる米資本の外資系エージェンシーに英語のレジュメとプレゼンムービーを送ったりして。周囲の協力もあり、上海支社に勤務することが決まりました。
―思い描いていたキャリアに突き進むというより、キャリアを重ねるなかで湧いた気持ちに正直に動かれているのですね。
そうですね。今いる場所で履修しきったなと感じたら疑問が湧いてくるので、その気持ちのままに行動してきました。広告業界では、大手企業に入ることが一つのゴールだと考える人がいたりするのですが、正当なキャリアの重ね方をするだけが正解ではないんじゃないかなと考えるようになったんです。だから、あえて海外で働くことを選びました。
―上海で働いてみて、一番の収穫はなんでしたか?
働き方の価値観がガラッと変わって、いい意味で肩の力が抜けたことですね。向こうでは家族のためにロングバケーションを取ったり、人生経験を積むためにいろいろな国を転々としながら働いていたり、一度会社を離れて出戻ってきた人がいたり、日本とは一味違う幅広い働き方があるんですよね。
あとは業務範囲をきっちり決めていて、その枠をはみ出さないので、とにかく効率的でムダがない。その代わり「その仕事は契約外なのでできません」などと平気で言われたりもしますが(笑)。それが一概にいいとは思いませんが、オンオフのバランスが整っているところは日本もまねするべきかなって。
そんな海外での働き方を目の当たりにして、「これが理想のワークスタイルだ」と思いました。一度、日本を離れて海外に出てみて本当に良かった。とくに20代の方には、一度は海外で働いてみてほしいですね。僕ももう一度外に出たいと思っています。
―なるほど。海外で働くとなるとややハードルが高い気がしますが、少し長めの休みをとって海外へ旅に出ることならできそうです。
旅もそうだし、留学でもいいですよね。英語を使って異国の人とコミュニケーションをとることで、人生やキャリアの選択肢が格段に広がると思いますよ。僕はTOEIC300点で行ったので(笑)、英語がネックだという方も勇気を出してぜひトライしてみてほしいです。
これまでのキャリアがつながり、電通でも地道に立場を確立
―広告プロモーション(=コミュニケーション)を手がけるプランナーとして、2014年に電通に移籍されてみて、どう感じましたか?
大きな会社ほど自分を見てくれていない一面があるかも、と感じました。だからまずは「自分の社内口コミをつくること」に注力し、1社目のときと同様に120%精神で、頼まれていないこともプラスアルファでやるようにしていました。そこからご縁が広がって、どんどん仕事の幅が広がっていきましたね。
―これまで電通で取り組んできた案件で、評価につながった企画をお聞きしたいです。
よくアーティスト関連のお仕事をさせてもらうことが多く、コブクロさんは何度かご一緒させていただいています。「奇跡」というシングルが出たときには、ジャケットからミュージックビデオ、プロモーションまですべて担当させてもらいました。よくあるジャケットやビデオを作っても面白くないので、“作り方からデザイン”することを試みました。具体的には、メンバーのお二人の脈拍を計測して、それをリアルタイムに演奏する二人の背景に映像効果として反映させることをしました。“二度と再現することができない、命の通ったミュージックビデオ”として、たくさんの方に楽しんでいただくことができた事例です。
―20代と30代で、仕事の取り組み方はどのように変わりましたか?
20代のときは結果を出すこと、要はものを売ることだけで精一杯になっていましたが、30代になってからは売ることを第一義に考えるのは当たり前で、そこに何かワンメッセージを込めることを考えるようになりました。先ほどのコブクロさんの「奇跡」であれば、とにかく見た人・触れた人にメンバーの熱い声援が少しでも伝わるように。歌が売れるのはもちろん大事ですが、やはり広告主の気持ちを、時代にどう伝達できるかが重要だと思います。今後もそのスタンスで仕事をしていきたいですね。
―今後は、どのようにキャリアを描いていこうと考えていますか?
アジアとか南米などの新興国に行って広告に携わりたいです。経済発展の勢いがあるときって、広告もイケイケで面白いんですよ。だから海外で働いて、そのままグルッと世界一周して帰ってこれたらいいなと青写真を描いています。
今はどんな環境であっても、ポジティブな要素を突き詰めてみよう
当初は希望と異なる部署に配属された世瀬さんが、やりたい方向性にキャリアをスライドできた一番の要因は、あきらめないというポジティブな「執念」だったのではないでしょうか。最後に20代の読者に向けて、こんなメッセージを送っていただきました。
「大事なのは気の持ちようで、環境に文句を言わず今できることをやることが一番だと思います。自分が置かれた状況からポジティブな要素を見つけて、それを突き詰めていくことで、次のキャリアに通じる扉が開くはずです。エラそうですみません(笑)」
120%のハングリー精神で道を切り開いてきた世瀬さんの言葉には、ひしひしと伝わってくる説得力がありますよね。大きな変化じゃなくてもいい、日々のなかにほんの小さな革命を起こしていくことが、なりたい未来像に近づくカギなのかもしれません。
識者プロフィール
世瀬健二郎(せせ・けんじろう)
株式会社電通 コミュニケーションプランナー・デジタルクリエイティブ
東急エージェンシー、DDB上海を経て2014年電通入社。ソーシャル時代に即したクリエイティブディレクションを得意とする。デジタルセントリックなプランニングスキルを軸に、ソーシャル時代の情報拡散構造を前提とした、“シェアされるコミュニケーション”を数多く手がける。主な担当クライアントは、日本コカ・コーラ、資生堂、WOWOW、日本放送協会、ワーナーミュージック、ユニバーサルミュージック、パーソルキャリア、リーバイスなど。Spikes Asia、ADFEST、AD STARS、FWA、TCC2017ファイナリスト、ギャラクシー賞月間賞(2017年5月度)、SABRE Award、Yahoo! Creative Awardなど、国内外の広告賞にて受賞多数。
イベント紹介
そんな世瀬さんが企画・運営に携わる、総合人材サービスのパーソルキャリア株式会社主催の大学生向けイベント「CAMP SUMMIT 2017~はたらくを楽しむ人の流儀~」がこの夏、全国5カ所で開催されます。
このイベントは「新卒で入社した方々の約3割は3年以内に離職する」、その原因の一つが日本の旧態依然とした「就活」にあると考え、企業と学生の雇用のミスマッチを無くし、“企業を見る目” “自分を見る目”を養いながら「はたらくを楽しむ人」になるための理論と実践をお伝えします。当日は女優に転身した川栄李奈さんがゲストスピーカーとして登壇するほか、複数の企業から現役の人事担当者も登壇予定です。
http://camp-program.com/
※この記事は2017/07/24にキャリアコンパスに掲載された記事を転載しています。
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