沖縄県石垣島。
本島、西表島に次いで3番目の大きさを誇り、「石垣ブルー」とも呼ばれる美しい海や雄大な自然が魅力の人気観光地。そこへ29歳 で移住した方がいると聞き、取材をするべく現地へ飛んだ。
取材当日はあいにくの曇り空。それでも海は透明度を保ち、ゆったりとした時間が心地よく流れる。
「あぁ、今日お会いする方も、きっとこの環境に惹かれて移住したんだろう」
取材前、私はそう考えていた。しかし、それは安易な考えだったことを取材後に反省することになる。
今回お話をお聞きしたのは、石垣焼窯元で職人を務める工藤さん。
ちょうどこの日は雨予報が出ていることもあり、屋内でも楽しめる場所を求めて陶芸体験への予約が朝から殺到。そんな忙しい日であったにも関わらず、快く取材に応じていただいた。
そして、到着後に出してくれたお茶に思わず目を奪われてしまった。
工藤 進也
1979年生まれ。宮城県出身。大学で土木系を学び、卒業後は地元の建設会社に就職。その後コンクリート関連の研究職や建設コンサル会社を経て、2009年29歳のときに石垣焼窯元へ転職し石垣島へ移住。現在、スタッフとしては唯一「焼き」を担当する職人として、窯元で販売する商品から海外の展示会に出品される作品まで、広く石垣焼の制作を担当している。
「ひと目惚れでした」
―― 今日はありがとうございます。今いただいたお茶の湯呑はまさに石垣焼ですね。
はい。とっても綺麗でしょう? 入ってるのは普通のさんぴん茶ですが、底にある青色と、その周りに広がる銀色の滴文様に太陽光が反射することで、湯呑の中が明るく照らされてお茶が黄金色に輝くんです。
私もこの美しさに心惹かれた1人なんですよ。
―― 確かに、ひと目見れば忘れられないほど印象的です。石垣焼との出会いはどんな形だったんですか?
ある日なんとなく見ていたTV番組で石垣焼を見たのが最初でした。チラッとしか紹介されなかったのですが、あまりに印象的で……。気づけばネットで石垣焼のことを調べ始めていました。
すると、たまたま石垣焼窯元の求人が出ていて、その場ですぐ応募したんです。当時は千葉県に住んでましたから、まぁ移住ということになりますかね。
―― 決断が早すぎて話についていけないのですが(笑)
「タイミングが合った」とでもいうのでしょうか。
というのも当時、弟が倒れて意識不明になりまして。その後無事回復したので良かったのですが、「人間いつ人生終わるか分からんな」と強く感じました。それなら「やりたいことはやらないと」と考えていたタイミングで石垣焼と出会ったこともあって、気づけば直感的に行動していました。
―― なんだか運命的な出会いを感じますね。
子どものころから「何かモノを作る仕事に就きたい」と思っていたことも、すぐに意思決定できた要因のひとつかもしれません。
これまで選んできたキャリアも、「いかにモノづくりにダイレクトに関われるか」が基準でした。建設会社から石垣焼職人へ転職とだけ聞くと、まったく一貫性がないように思うかもしれませんが、私からすればこれまで以上にモノづくりに没頭できる環境が石垣焼だったというだけです。
―― そうは言っても、不安に思うことはありませんでしたか?
給与も生活できるくらいはありましたし、なんら問題はありませんでしたよ。
ただ、周囲の反対はありましたね。特に親には猛反対されました。安定した生活を投げうって何千キロも離れた南の島へ移住するわけですから、親からしたら理解できないことばかりだったかもしれません。
でも、説得すらせずに石垣島へ転職・移住を決行しちゃいました。「やりたいことをやってみる」というのが自分のモットーですし、これまでもずっとそうしてきましたから。
この“青”を表現できるのは石垣焼窯元だけ
―― ところで、焼き物職人って未経験からでもなれるものですか?
普通は無理だと思います。特に100年以上の歴史があるような窯元では、まず未経験から職人を募集することはありません。美術系の大学や専門学校などで陶芸について学び、実務経験を経て初めて応募資格を満たせるかどうかでしょう。
そういった経験のない私が石垣焼窯元で職人になれたのは、「石垣焼の経験者がこの世に存在しない」からです。石垣焼は「陶器とガラスの融合」という独自の技法を用いていますから、そもそも経験者募集ができないんです。
―― それだけ独自性の高い焼き物なんですね。
そうですね。そういった特徴があるからこそ、わずか20年ほどの歴史しかなくてもロンドンの大英博物館に石垣焼を展示いただけたのでしょう。世界では年数に関係なく、良いものは良いと認めてくれる環境がありますから。
―― 日本での知名度はまだ高くないように感じますが。
その通りです。というのも、石垣焼窯元は現状7名で運営しており、うち現在制作に携わる者はたったの4名。つまり、世界中で石垣焼を作れるのはこの4名だけということです。そのため、作れる作品量にも限りがあります。
しかし、着実に認知度が高まっているという実感はあります。ここ数年で陶芸体験教室に来てくれる方の人数は確実に増加していますし、SNSなどを通じて石垣焼のことを知ってくれる方も増えました。
今は忙しすぎて目の前のことに忙殺されてしまっていますが、今後は「どうすればもっとキレイな石垣焼が作れるのか」ということを追求していきたいと考えています。その着実な積み重ねが、石垣焼をもっと広く知ってもらうことにつながるからです。
移住する場所よりも、そこで何をするかが重要
―― お恥ずかしながら、お会いする前は生活環境が移住理由だろうと思っていました。
確かに海はキレイですし、自然もたくさんありますから、そう思われるのも無理はないでしょう。私も休みの日は海に釣りに行くことを楽しみにしていますし。
ですが、それがメインの目的ではありません。たまたまやりたいと思えたことが石垣島にあっただけで、もし大工や漆職人など別のものに興味を持っていたら全く違う場所に移住していたかもしれません。
―― 工藤さんにとって、移住は目的じゃなくて手段だったということですね。
はい。それに石垣島って住んでみると意外と大変なところも多いですよ。例えば気候が年中高温多湿なので、あらゆるものがすぐにカビたりしますし、特に夏場はその湿度に体力を大きく奪われますからしんどいです。
また、人気観光地なので家賃や食料品なんかもそんなに安くないんですよ。新しめのワンルームなんかだと、福岡の都心部とそこまで変わらなかったりしますから。
―― もし石垣島に移住することだけが目的であれば、耐えられないこともあったでしょうね。
そうかもしれません。もし自然豊かな場所でスローライフを送ることが目的なのであれば、別に石垣島じゃなくても実現できますからね。
あと、石垣焼ってその昔は「制作不可能な焼き物」とまで言われていたほど、実は作るのが難しいんですよ。石垣焼がスタートした当時は1尺皿が200枚に1枚しか成功せず、窯元が割れたお皿の山になっていたこともあるほどだそうで。
―― 成功率たったの0.5%……。相当な忍耐力がなければ続けられませんね。
研究を重ねた結果、今は失敗する確率はかなり下がりましたが、それでもより薄いものや美しいものを作ろうとすると今でも失敗することは多くあります。湿度や気温なんかにも左右されますし、1日として同じ条件の日がない。
でも、そんな苦難も楽しいと思えるのです。子どもが産まれてからは頻度こそ減りましたが、家に帰ってからも自宅の窯で焼き物を作ったり、良い土を求めて島中を捜し歩いたりしていますよ。
―― 愚問かもしれませんが、なぜそこまで頑張れるんですか?
シンプルに「好きなことだから」でしょうか。例えば釣りが好きであれば、天気さえ良ければ自然と釣り場に足が向いてしまいますよね。それと同じように、石垣焼が好きだから自然と毎日作っているだけです。
そこまで惚れ込める石垣焼に出会えたことは、私にとって最も幸せなことだったのかもしれません。
取材後記
「石垣焼の魅力はこの青。でもね、それだけじゃないんです」
そう言って工藤さんが指差したのは、側面にある銀色の滴文様。“油滴天目”という、古の茶人がこよなく愛した器に用いられた手法だそう。
「この銀色と器自身の黒色。これがあるから青がより引き立つんですよ」
嬉しそうに話してくれる工藤さんの顔を見て、あぁ、この方は心の底から石垣焼に惚れ込んでいるのだなと感じた。
これまで移住といえば、「都会の喧騒を離れ、悠々自適なスローライフ」というイメージをどこかで強く持っていた。しかし今回の取材を通じて、「その場所に行かなければできない仕事がある」ということに気付き、またそんな仕事に出会えることがどれだけ幸せなことかを知ることができた。
もしかすると移住は、「する」ものでなく「してしまう」ものなのかもしれない。
会社データ
合同会社 石垣焼窯元(http://ishigaki-yaki.com/)
【会社概要】
創立:2007年10月11日 石垣焼窯元(1999年6月20日創立)より変更
代表者:金子 晴彦
事業内容:窯業(陶器、陶器ペンダント・アクセサリー製造、卸、販売並び体験陶芸教室事業)
所在地:〒907-0021 沖縄県石垣市名蔵1356-71
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